
子どもの頃、夏休みの宿題に手を付けず、最終日になって泣きながら山のように積まれた課題と向き合った経験ありますよね。私も夏休みの宿題は溜めてしまうタイプで、何年生になっても同じことを繰り返していました。子どもというのは自分をコントロールするのが難しく、だから親や先生といった存在が重要になります。
夏休みの宿題に手を付けていないことに対して、親や周りの大人が「ちゃんとやりなさい」と叱ったところで、その反省は1日も続きません。あっという間に他の楽しいことに気持ちを持っていかれます。でも、もし親が「この範囲まで宿題が終わるまで遊びに行かせない」と言ったらどうでしょう。
現代においてそんなことをしたら、親は虐待行為をしたとして大炎上する可能性があります。でも、遊びに行けないのは困るから子どもは宿題に手を付けることになります。叱られるのと違って、それを実行しないと次に進めないわけで、納得していなくても親の指示に従います。
パリ五輪代表で体操女子の主将を務める宮田笙子選手が、辞退を申し出たという話題がSNSやネットニュースで盛り上がっていますが、その中に「喫煙や飲酒くらいでオリンピックに出られないのは厳しすぎる。厳重注意くらいでいい」としている識者が少なくありません。
私は別に宮田選手がオリンピックに出ようと出られまいとどっちでもよく、彼女がこれからの人生をどう生きるのかにしか興味がありませんが、「厳重注意でいい」という考え方は賛同できません。喫煙や飲酒は軽い罪だというのが厳重注意でいいという考え方の根拠にあるようですが、本当にそれでいいのでしょうか。
もし喫煙や飲酒が厳重注意で済むのであれば、世の中の未成年は簡単に喫煙や飲酒をすることになります。だって厳重注意されるだけで済むわけで、バレたときに反省文でも書けば済むわけです。バレなければいいという基本スタンスに加えて、バレても反省しているふりでもしていれば許される。それは喫煙や飲酒を助長するだけです。
さらに厳重注意程度で済む、軽い罪だというのであれば、そもそも未成年の喫煙や飲酒が「問題視するほどのことではない」ということになります。少なくとも「厳重注意でいい」としている人はそう考えているのでしょう。実際に問題視するほどのことでないなら禁止すべきではありませんし、問題があるならその人たちの認識不足・モラル不足ということになります。
実際に未成年の喫煙や飲酒は常態化しているのが現実で、厚生労働省の調査では高校3年生男子51.5%、女子35.9%が月に1〜2回の飲酒をしています。未成年の喫煙率はそれよりも低いものの、男性の場合には19%という調査結果もあります。もっとも喫煙の場合、20歳を超えてから吸い始めるのは少数派で、吸うか吸わないかは未成年のうちに決まるような気がします。
このことを問題だと考えていない人が一定数いる。なぜなら自分もやってきたから(識者はそんなことを絶対に告白しませんが)。国もそこまで本気で対策を立ててないのは、問題として認識しつつも、「予算を使って本気で対策するほどのことではない」と考えているから。
誰もが未成年の喫煙や飲酒を大したことではないとどこかで思っているのに、法律上は禁止されている。今回の問題はその歪みを正すいい機会だと思うのですが、みんな脛に傷を持っているから切り出せない。そういうところが、この国の限界なのかもしれません。
多くの人が、心のどこかで「さっさと風化してほしい」と思っている。いま騒いでいるのは、基本的に逆張りをして自分のポジションを守りたいという人が中心です。そういう人たちは、厳重注意だけでオリンピックに出場させた場合には、それはそれで批判していたでしょう。決して「英断だ」なんてことは言いません。
繰り返しますが、私は宮田選手がオリンピックに出場しようが、辞退しようがどっちでもよく、日本体操協会の判断にあれこ言える立場でもありません。ただ、物わかりのいい大人のフリをして「厳重注意でいい」なんて言っている識者に嫌気が差しているだけです。