変わっていくもの:失敗しても糧になる

伊豆高原でお手伝いしていた宿の体制が変わって、またひとつの時代に終止符が打たれることになります。これまでも何度か営業形態やデザインなどが変わってきましたが、今の時代の中心になっていたのが私の友人で、彼女が辞めてから1年ほどで、次のフェーズへと以降することに。

また何かのタイミングで行くことになるのかもしれませんが、もう私の知っている宿ではなくなるのでしょう。この世界に変わらないものはないわけで、残念な気持ちとともに、どう変わるのだろうかという楽しみもあります。ただ、私は完全に部外者になります。

宿での日々は素晴らしいもので、なかなか経験できない時間を過ごすことができました。20名以上の朝ごはんを作ることも、髪の毛1本落ちてない状態に掃除することも、外国人のお客さんとコミュニケーションをとったのも、これからの人生の糧になるはずです。


いずれ自分で宿をやってみるという未来予想図も少しだけ思い浮かんでいます。ただ、それはマラソン遠征をやめることを意味するので、現時点では現実的ではありません。ただ、人のために何かをすることが私の役割であり、それこそが私が生きている理由のように感じています。

もっともダイレクトな接客をするには、私がもう少し大人にならなくてはいけません。私が得意とするのはやはり裏方。トラブルや課題に対して「こうするべき」を導き出し、解決していく。北海道でも基本的には裏方の仕事を中心で、表舞台に立てるほど華やかな人間ではないことを自分で理解しています。

それでも1回くらいはチャレンジしてもいいのかなと思い始めています。いまさら世の中の人気者になれることはありません。芸人のように破天荒な人間なら可能性はありますが、私はいたって真面目なタイプ。誠実さだけを武器に生き残れるほど、ビジネスの世界は甘くありません。


ところが時代は多様性。 真面目なだけの芸人がいてもおかしくありません。むしろ破天荒な芸人が減ってきて、ある程度の常識が求められる時代なわけです。私のようなタイプの人間でも、売り方次第で知名度を上げて、表舞台で活躍できる道はきっとあります。

もっとも真面目な人が表舞台に立ったら、ほんの些細なことで揚げ足を取られるというリスクもあります。武井壮さんがリスクマネジメントとしてお酒を飲まないと言っているのを、何かで読んだか動画を見たことがあるのですが、表舞台に立つというのはそれくらいの覚悟が必要になります。

そこまでの覚悟があるかというとそうでもなく、何よりも表舞台に立ってみたいというのは好奇心でしかなく、強い意思を持っているわけでもありません。きっとこのままの道を進めば、多少の不自由はあっても、自分らしく生きていけます。でも、見える未来には1ミリも興味がありません。


思いもしなかった未来が待っているから、人生は面白いわけです。そして今は愛媛マラソンでいい走りをするということに、人生を全振りしている状況。そのあと、社会のどこに自分のポジションを確保するのかを考えたときに、元に戻るのは違う気がします。

ただ、真面目な人間は思い切ったことをするのが苦手。だったら、今まで避けてきたところへと向かってみるのも面白いかなと。失敗したっていいんです。それさえも貴重な経験ですから。やらなければゼロですが、やれば何かを得ることができます。

新しいことをするなら、そろそろ準備を始めなくてはいけません。まずは何をするのかを決めることから。本当に思わぬことをするのか、それともこれまでの経験を活かしてステップアップするのか。この夏はしっかりと悩むことにします。

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