ランナーにとって「走った距離は裏切らない」は想像以上に刺さる言葉であり、それはまるで呪文のようにランナーを縛り付けています。実際に走った距離が長ければ長いほどマラソンのタイムは速くなることが、いくつもの論文で発表されています。
一方で、走れば走るほどケガのリスクが上がるという問題があるのですが、なぜかこちらの呪文はランナーに響きません。ただ、ケガのリスクが高まるという事実が消えるわけではなく、ランナーはケガをしないように心がけながら月間走行距離を延ばしていきます。
だからこそ、1ヶ月で400kmや500kmも走るランナーは崇められたり、呆れられたりします。それに耐えられるだけの強い肉体を持ち、継続できる精神力も備わっている証拠で、ある意味でサブ3(フルマラソン3時間以内完走)を達成するよりも、月間走行距離500kmのほうが難しかったりします。
サブ3と月間走行距離500kmを同列に並べて比較することに意味はありません。前者は努力だけでは越えられない壁であり、後者は努力と知識で乗り越えられる壁なので、人によって感じる難易度は異なります。ちなみに私は月間走行距離500kmは何度かやっていますが、サブ3には手が届いていません。
月替わりになると、SNSではたくさんの月間走行距離報告が上がりますが、私は人に報告するようなものでもなく、自分だけのものだと思っているので、仕事がらみでもない限り基本的には公開しません。今月300km走ったかどうかは個人的なことで、それがいいかどうかは自分しかわかりません。
それを公開する理由としては、承認欲求もしくは自分への戒めなどが考えられますが、どんな結果であれ、多くの反応を得られやすいのが月間走行距離の公開。思ったように走らなければ「頑張れ」と言ってもらえて、かなり走り込んだら「すごい」と褒められるわけです。
なので月間走行距離の公表は、走るモチベーションにはなるのでしょう。ただ気になるのが、他の人を例に挙げて「自分はあんなにも走れない」という人がいること。よくあるのが「SNSには300km以上走っている人がたくさんいるけど、自分には無理」という投稿です。
まず、自分と他人を比較することに何の意味もありません。それぞれ目指しているところや、置かれている環境、情熱の大きさなどがまったく違うわけです。それなのに「他の人は」というのは、ランニングの本質を理解できていません。そして何よりも走れないことを自虐することが理解できません。
月間走行距離を300kmにしたいなら、毎日10km走ればいいだけです。1日1時間確保することがそれほど難しいのでしょうか?いや、難しい人もいるのでしょう。だったら、なおさら他人と比較する必要がありません。他の人が300km走ろうが走れなかろうが関係ありません。
ただ、やっぱり「走ればいい」だけなんです。時間がないとか、走力がないとか、そんなこと全部無視して、まずは1日10km走ることをベースに日々の生活を組み直す。空いた時間に走ろうなんて考えてるから、結局走れないわけです。かつての私がそうだったからよくわかります。
誰もが自由に走れるわけじゃない。それも理解しています。ただ、目標に見合うだけの努力ができていないなら、目標を下げるか、ランニングとの向き合い方を変え、正しく努力すればいい。やるべきことはSNSで傷を舐め合うことではないはずです。
1日8時間以上働いて(拘束時間はもっと)、家族や大切な人のために、夢を叶えるために時間を使って、その上でランニングまではとてもできない。それを否定したりはしません。ただ、人生における優先順位を上げなければ月間走行距離が増えることはありません。