タレントさんがSNSで大炎上しました。詳細をここで書く必要もないくらい大事になっていますが、言葉の力を理解できていない人が一定数いて、物書きとしては少しやるせない気持ちになります。このタレントさんに限らず言葉が随分と軽くなっているというのは、少し前から気にしていました。
物書きなので言霊というものを信じてはいません。ただ、言葉には力があります。何よりも強力な武器として誰かを簡単に傷つけることができ、それでいて誰かを救うこともできます。誰かを救えるというと驕りに感じる人もいるかもしれませんが、少なくとも私たちは誰かの言葉に左右されながら生きています。
誰もが思ったことを自由に発信できる時代において、発言していいことと悪いことの境目が消えつつあります。もちろん多くの人が「誰かを傷つけない」ことを意識しています。でもすべての人がそれを共有しているわけではありませんし、この世界には誰かを傷つけることを喜びにしている人もいます。
いまは学校でもSNSの使い方についての教育をしているのだと思いますが、「イジメはダメ」と言ってもイジメがなくならないように、SNSで不適切な投稿はしないようにと注意したところで、不適切な投稿がなくなることはありません。それどころか、過激な発言ほど注目されます。
ここまで書いてから、重要なことに気が付きました。もしかしたら「死」ということに対して、感じるものの個人差がかなり大きいのではないかということ。以前、とある芸人さんの「死ねばいいのに」という言葉が、お笑いとして少し流行ったことがありました。
私はその言葉を初めて聞いたとき、愕然としたことを覚えています。そのときは周りの誰かが芸人さんを真似て面白おかしく言ったのだと思います。ただ、そんなことは関係なく、誰かに対して「死ねばいい」と言えてしまう感覚を持った人が一定数いることに驚きました。
大炎上したタレントさんを擁護する著名人がいて、その中に「謝ったんだから、許すべきだ」と言っている人がいました。とんでもない発言なのですが、現実としてそういう感覚の人がいます。なるほど世の中からイジメがなくならないはずです。
その人にしてみれば、どんな言葉のナイフで抉っても、物理的にケガをしたわけではないから、謝ったら済むということなのでしょう。人間のメンタルが鋼でできていると思っているのか、もしくは「死ぬ」という言葉を軽んじているかのどちらかです。
私がいつも口にしているのは、「人間は自殺以外だったら何をしてもいい」ということで、それは人間が生きる目的が「生きること」だと思っているからです。生きるということがどれほど尊いことなのかを、私は身近な人の「死」によって何度も体験してきました。お遍路の途中で九死に一生を得たこともあります。
だから生きることへの執着は人一倍強く、だからこそ軽々しく他人に向かって「死ねばいい」みたいなことを発信する人を受け入れることはできません。ただ、それを口にした人はそこまで重く考えていないわけで、そこは議論をしたって噛み合いません。
自殺以外だったら何をしてもいいんだったら、別に「死ねばいい」と言ってもいいじゃないかと思うかもしれませんが、それはそのようなシチュエーションになったら、口にすることだってあるというだけのこと。例えば自分の大切な人を殺した人に対して、それを口に出すことを私は否定できません。
もしかしたら、今回も背景にそういうことがあったのかもしれません。でも、それは個人間でやるべきことで、いい大人がSNSでやることではありません。もっとも、大炎上した彼女と面識があるわけでもなく、現実としては「そういう人もいる」と「私はそういう人を嫌う」と再認識したというだけのことでしかありませんが。