書きたいもの:もうひとつの集大成

本が好きだと認識したのは社会人になってから。それまでも本はかなり身近な存在として人生の糧となっていましたが、社会人になって自由に使えるお金が増えたこともあり、本好きの感情が抑えきれなくなりました。社会人の最初の数年は、給料のほとんどが書籍代として消えていきました。

本を読むようになったのは、子どもの頃に図書館に連れて行ってもらっていたから。神戸の鈴蘭台にある図書館で、そもそも母が図書館好きというのもあって、かなりの頻度で通っていた気がします。自宅から徒歩圏内だったので自分で行ったこともあると思うのですが、あまり記憶がなく。

大阪に引っ越ししてからも図書館には通っていましたが、高校時代は部活とアルバイトに明け暮れていたので、あまり本を手にしていなかった気がします。ただ、国語の授業は好きでしたし、センター試験でも国語と社会だけはかなりの点を取れていました(理系だったので、ほぼ意味がなかったのですが)。


なぜ、大人になって本を読むようになったのは、村上龍さんのエッセイ「すべての男は消耗品である。」に出会ったことがきっかけでした。なぜそれを手にしたのかはわかりませんが、そこから村上龍さんの作品を買い漁り、考え方などの影響もかなり強く受けていた時期でもあります。

その当時、短編小説をひとつだけ書き上げたのですが、友人に読んでもらったところ「村上龍っぽい」と評されました。私が村上龍さんの新刊を買わなくなったのはそれからで、クリエイティブな仕事をするうえで、これではよくないと判断したからです。自分らしい表現や感覚がないと物書きにはなれません。

それからも小説を書こうとしましたが、書き進めることができませんでした。自分には小説は向いていないと諦めたのですが、いま思えば、きっとあの頃の私は「小説を書こう」としていたのでしょう。それではダメなのだといまならわかります。大事なのは「書きたいことがある」ことです。


書きたいことがないのに、形だけ小説っぽいものを作ろうとしたって無理があります。執筆というのは孤独な作業で、書きたい対象が定まっていないとモチベーションが続きません。反対に書きたいものがある場合には、それが情熱となって、世界にひとつだけの小説ができあがります。

なぜそんなことをいきなり言い出したかというと、書きたいことができたから。小説のタイトルも決まっています。どう構築するかはこれからですが、これは自分がやるべきことだということが見つかりました。まだ着手もしていないうちに言うことではありませんが、多分これまでの48年間はこれを書くためにあったのでしょう。

たくさんの人生経験を積み、多くの出会いがありました。社会人になりたての私とは比較にならないほど、思考が深くなっています。やっと筆をとってもいい段階に入ったというところでしょうか。1年前でもダメで、1年後でもダメ。気は熟し、大きな流れがやってきました。


とはいえ、ここはまだスタートラインで、物語を書き上げるための情報量が足りていません。やるべきことは山積みで、手元にある時間は限られています。それでも、この夏から動き出すことにします。情熱が確かであることは確認済み。自分だけが書ける物語だという確信もあります。

今度は「村上龍っぽい」と言われないくらい、村上龍さんとは距離をとっていますし、他の作家さんに影響されないくらい、確固とした自分に成長できているはず。ただ、書き始めてみないと、分からないことが多々あります。だから弱気になりそうなのですが、自分を奮い立たせるために言語化しておきました。

愛媛マラソンをひとつの集大成にするとお伝えしましたが、このタイミングで小説を書くというのもこれまでの人生の集大成だと思っています。それがスタートラインになるかもしれませんが、まずはいま持っているすべての札を使って、伝えたいこと、書きたいことを仕上げていきます。

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