ある大手ランニングサイトが夏のランニングについて、夏に負荷の高いトレーニングをしておくことが大事というニュアンスの記事を書いていて、「これは大丈夫なんだろうか」と不安になりました。大手なので多くのランナーがその記事を読むわけです。そして実践する。
10年前ならまだわかりますが、明らかに危険な暑さになっているこの数年。夏トレーニングとして、屋外での長距離走を推奨するというのは、メディアとしてどうなのでしょう。しかもエビデンスがあるわけではなく、本当に効果があるかどうかの検証もありません。
私も小さいながらにRUNNING STREET 365というメディアがあり、そしてこのブログでも夏のランニングについて語っていますが、基本的には夏は早朝に走るか屋内で走るというスタンスで文章を書いています。ランニング中に倒れる人を1人でも減らしたいという想いがあるためです。
どちらが正しいということではなく、私は「安全」を重視し、大手メディアは「どんな状況で走って成長する」を重視しているというだけのこと。そのメディアの記事にエビデンスがないことは別として、「こうやれば走力が上がる」を伝えることで彼らはランナーと信頼関係を構築していくわけです。
おそらくビジネスとして考えれば、そのほうが正しいのでしょう。私のように「無理してはいけない」を全面に押し出す人は、ランナーからしてみれば「そうは言っても」となります。彼らが望んでいるのは「無理は承知で、その状況でもできることを知りたい」わけですから。
メディアにはそれぞれ立場というものがあります。たとえば、大手ランニングメディアはマラソン大会の批判や、新モデルのランニングシューズについて、ネガティブな面を記事にすることができません。彼らはスポンサーを大事にしますし、ランニング業界で嫌われないようにうまく立ち振る舞う必要があります。
RUNNING STREET 365のような個人メディアはそれがないのが強みで、思ったことを思ったように書くことができます。もちろん、言葉選びは慎重に行いますが、「ダメなものはダメ」と言えます。それがSNS時代に求められることであり、RUNNING STREET 365が生き残るための道でもあります。
ただ、最近はどうもRUNNING STREET 365はランナーよりも、ランニング業界に身を置く人が訪れるサイトになりつつあるのを感じています。マラソン大会の取材に呼んでもらえるのも、書いてある内容が業界の人には響くからで、反対に個人にとっては専門的かつ表現が固くてウケがよくありません。
あとは私が内向的な性格ということもあって、「読んでいて楽しい記事」というのを苦手としています。だから、クライアントがいる仕事の場合には、クライアントのウケはいいんです。でも記事そのものは四角四面だからバズることがほとんどありません。
RUNNING STREET 365も北京旅人も、他のサイトも全部同じ。真面目すぎるのが強みでもあり弱みでもあります。ただ、私の発信する情報は真面目なものでいいのかなとも思い始めています。正しく情報を伝えるために、言葉が少し重くなるのは仕方ないことなので。
そういう意味では、先ほどの大手ランニングメディアは、言葉の重さのバランスがよく、RUNNING STREET 365ほどは固くなく、それでいて砕けすぎていない。人気サイトになるにはそれなりの理由があるのだということがよくわかります。
記事が読まれるかどうかは、その内容の信憑性だけでなく、読みやすい文章かどうかも影響します。少しでも多くの人に呼んでもらうために文体を変えるべきかどうか。これから小説を書くにあたっての課題のひとつです。もっとも、いまさら変えられるのかどうかわかりませんが。