昨年の北海道マラソンは近年稀に見る酷暑の影響もあって、かなり厳しいレースになりました。それに懲りることなくラン仲間がエントリーしたということで、それに乗っかる形で昨日から札幌に来ています。ホテル料金が上がりすぎて、今夜だけ札幌を離れるかもしれませんが。
北海道で数ヶ月ほど働いたこともあって、それ以前と比べて「北海道」に対するイメージが随分と変わりました。それまでは漠然と「北の大地」くらいにしか思っていませんでしたが、そこで暮らしている人や根付いているもの、根付かずカーペットのように敷かれているだけのものなど、いろいろ見えるように。
ただそれだけでは、自分の書きたい対象として考えることはできていなかったのですが、フルキャストでのアルバイトと、母から送られてきた1冊の小説によって、何かが解放されたような気がしました。私がこれから取り組むテーマは「蝦夷と勤労」。今回はそのための取材も兼ねています。
まだ何も決まっていないので、ここで詳細を書くことはできませんが、年内は取材期間という位置付けにして、愛媛マラソンが終わったら書き始めるつもりです。半年も取材期間に設けたのは、あまりにも無知だから。私がすでに感じていることを伝えるには、少なくとも歴史を知っておく必要があります。
どこまで学ぶのかはまだ決めていませんが、まずは大きな歴史の流れから。それくらいなら書籍で事足りるような気もしますが、現地でしか気付けないことがあるのは、これまで何度も経験してきたこと。なので、今回の旅ではノートとペンが相棒です。
蝦夷とは別に「勤労」がテーマになっているのは、仕事に対するネガティブな感覚が広まっている状況に違和感があるからです。「できることなら働きたくない」そういう風向きを、ペンの力で少しでも変えられないだろうかと思ったわけです。仕事はもっとポジティブなものだと伝えたい。
ただ、ビジネス書のような内容にはしたくないわけです。「ポジティブに取り組もうぜ」という従来型の言葉を押し付けるのではなく、結果的にポジティブに働けているようになるのが理想。そのために物語の力を借りるわけです。それが簡単なことではないのは、もちろん理解しています。
でも、いろいろな職場でイライラしている人を見ていると、もったいないなと思うわけです。個人的には仕事でイライラする人や、言葉遣いが荒くなってしまう人に対して、尊敬にも似た感情を抱いています。パワハラを容認するというのではなく、それくらい真剣に働いているということに対して。
私のように「たかが仕事」というスタンスの人間は、周りに対してイライラすることはありません。このスタンスはストレスがなくニコニコ働けますが、熱量もなく、達成感も得られません。だからないものねだりとして、仕事で怒れる人たちを見ると、シンプルに羨ましくなります。
ただ、そういう働き方はもう時代にそぐわなくなってきたのは事実で、だからといって「時代に合わせた働き方」にも魅力を感じません。だから新旧どちらの人も納得できる別の道を示すことが私の役割であり、モチベーションにもなるんじゃないかと思うわけです。
そういうことを書ける人間は、かなり限られているようにも感じています。机上の空論を振りかざす学者やコメンテーターはいても、私と同じくらいさまざまな職種で働いたことのある人は、ほんのひと握り。だからこそ、私だけにかけることがあり、伝えられることがあります。
ただ、語彙力も表現力も乏しく、それでいてまともに物語を書いたこともない私にどこまでやれるのかは分かりません。でも、失敗だって糧にできるのが人間。誰に見向きもされなくても、書き続けることがきっと大切。これはその第1歩というわけです。