UberEats:働き続ける人生

コロナ禍は私たちにさまざまな変化をもたらしました。ランナーはマラソン大会のない日々を知り、走る楽しさを別のところに求める人もいれば、走ることをやめてしまった人もいます。表現はあまり適切ではありませんが「ランナーの分断」が行われ、ここ最近になって、その再構築が始まったように感じています。

壊れてしまったものが元に戻ることはありませんが、変化は必ずしも悪いものではなく、私のように刺激に飢えているタイプの人間には、むしろポジティブな現象。ランニングの世界においても、それ以外でも新しい出会いがいくつもあり、常に新鮮な気持ちで毎日を過ごしています。

私は「慣れ」が「老い」につながると考えていて、新しいことに触れ続ければ、人は簡単には老いたりしないと思っています。実際に老いるのは感覚によるものが大きいという研究結果もあり、高齢者は高齢者の集団にいると、高齢者としての振る舞いをし、若者の集団にいると若者の振る舞いをすることがわかっています。


別に老いることが嫌なわけではありませんが、年齢を理由に何かができなくなることを好ましく感じていません。だから、今でもフルマラソンで記録を目指して走れていることはひとつの理想であり、少なくとも70歳まではフルマラソンを走れる自分でいようとは思います。

ここ数年で、私に大きな変化をもたらしたのは「働き方」です。コロナ禍にはUberEatsの配達をして、昨年は飲食店の立ち上げとマネージメント、そして宿の運営を経験しました。さらに今年からはフルキャストを使ったアルバイトを始めて、さまざまな職業を体験しています。

新しい職場ではすべてが初めての経験で、歳は重ねていますが若手扱いになります。人によってはそれをよしとしないこともあるようですが、そもそも会社員時代もずっと若手ポジションだったので、私にとってはネガティブなことではありません。むしろ働きやすい環境です。


コロナ禍になる直前にUberEatsの配達を始めたのは我ながら英断だったなと思います。ライティングの仕事が減ったことが、UberEatsを始めた理由でしたが、それによりコロナ禍に暇になることもなく、むしろひたすら働いて、借金の返済もできてしまいました。

でも今回はUberEatsに戻ることはなく、アルバイトをしているわけですが、これも賢明な判断だったのだと最近知りました。ある記事によると、UberEatsの配達員が劇的に減っていて、配達が間に合っていないのだとか。ライバルが少ないならいいのでは?と思うかもしれませんが、その理由に問題があります。

配達員が減ったのは1件あたりの単価が大幅に下がっていることにあるようで、時給換算で1,000円以下になることも珍しくないとか。記事ではその理由について説明がありましたが、結局は安い使い捨ての労働力としか思われていないことが表面化したわけです。


それを見越して辞めたわけではありませんが、私が北海道に行く前くらいから不穏な空気は流れていました。それを工夫して乗り切っていましたが、この1年の間に、それすらもできない状態になっていたのでしょう。そこを回避できたのは幸運としか言いようがありません。

UberEatsの配達を始めたときも撤退したときも、そうするべき環境の変化があったわけですが、結果的にはちゃんと流れを読んで動いているような形になっています。本当に運がいいだけなのですが、こういう運だけは恵まれています。宝くじとかギャンブルとかの運はほぼゼロなのに。

きっと神様が「お前は働き続ける人生を経験しろ」と設定したんだと思います。だったらそれに抗う必要はなく、流れに乗っていこうかと思います。ただ、常に変化を求めるタイプなので、愛媛マラソン後はアルバイトからも撤退している可能性があるのですが。それでも働き続けることに変わりはありませんが。

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