
台風の影響で中止になった7年前の丹後100kmウルトラマラソン。そのとき、台湾とセルビアからやってきたランナーのサポートで現地入りしていたのですが、このことが私にとって海外のラン仲間が増えるきっかけになり、いまではたくさんの台湾人ランナーとつながっていています。
そしてもうひとつのつながりであるセルビア人ランナーを、今年の丹後100kmウルトラマラソンでサポートすることになり、いま京都にいます。人の縁というのは不思議だなと思うのですが、日本にまで来てくれたわけですから、できるかぎりのサポートをして、そして彼は60kmのコースで7年越しに完走を果たしました。
こういうときに、なりふり構わず行動することが未来の扉を開けることに繋がることを、私は知っています。ただ、実際のサポートとしては、そんな打算的なことを考えるわけではなく、ただ自分がやれることをやるだけ。あとになって振り返ったらターニングポイントになっているというだけのことです。
ウルトラマラソンのサポートとはいえ、60kmをずっとついて回るわけにはいきません。なので部分的に応援をしただけなのですが、久しぶりにウルトラマラソンの会場やコースの雰囲気を味わえました。私はウルトラマラソンを何度か走っているのですが、あまりハマりませんでした。
理由はいろいろあるのですが、2万円の参加費がかかるなら、その2万円を握りしめて1日中走っていたほうが楽しめると思ったのと、多くのウルトラマラソンは1日かけてスタート地点に戻ってくるという生産性のなさから、自分は何をしているのだろうと客観視したら、純粋に楽しめなくなったというのもあります。
でも60kmのスタート会場には、ウルトラマラソン好きが集まっていました。彼らにとってウルトラマラソンは、なくてはならないもの、人生を豊かにしてくれるものなのでしょう。ただ、人数は以前ほどではないように感じました。フルマラソンですら集客に苦しんでいるわけで、ウルトラマラソンは存続の危機にあってもおかしくありません。
そう考えるとこれはチャンスなのかもしれません。ウルトラマラソンのように長い距離を走ることが好きな人は一定数いて、でも参加費や宿泊費の高騰などでウルトラマラソン離れが進みつつある。だったら旅ランを広めることができるのではないかと。
私は旅ランを文化にできると面白いのになと考えています。最終的には高校生が休日に旅ランするくらい、「日本人は老若男女みんな走っている」というような状況を作り出せたらおもしろなと。友人とディズニーランドに行くような感覚で、友人と箱根を越えに行く。そんな文化を根付かせてみたい。
旅ランならリタイアもなく、途中でやめるのも自由。寄り道しすぎて1日で10kmも走っていないなんていうのもあり。それこそ2万円を握りしめて温泉まで走るなんて面白そうじゃないですか。それが国民の健康にも繋がります。いいことしかないわけです。
それが簡単ではないことは理解しています。でもテレビ番組の途中下車の旅みたいな感じで、ぶらりランニングの旅なんてあってもいいじゃないですか。ランニングでしか見つけられないスポットもあり、ランニングのスピードだから楽しめる景色もある。
そうなるとウルトラマラソンは存在価値がさらに薄まりそうですが、そこは運営側のやり方次第でもあります。ウルトラマラソンの中に今まで以上の遠足感を演出するか、反対に競技色を強く出すというやり方でもいいと思います。うまくやれば相乗効果で、ウルトラマラソンを走る人も増えるはず。
そのために大事なのは「そこを走る理由をつくる」こと。ただそれはウルトラマラソンに限ったことではなく、あらゆる業界で共通すること。そのサービスを利用する理由をつくる。そのための物語を描くことができるかどうか。旅ランを広めるにしても、やるべきことは同じで、そこから逃げれば個人の趣味で終わってしまいます。個人的にはそれはそれで構わないのですが。