
同じ場所に戻ってくるというウルトラマラソンの生産性のなさが苦手と、半分冗談・半分本気で言っているんですが、同じ場所に戻ってくると達成感がないんですよね。そもそも達成感が薄いタイプなので、同じ場所に戻ってくるとやりきった感を得られません。
100km走ったことに対しての達成感は?と思うかもしれませんが、100kmでも200kmでも、足を動かし続ければたどり着きます。距離に対する不安を持ったことはこれまでに1度もなく、反対に長い距離だからやりがいがあるかというとそういうわけではありません。
むしろ長すぎる距離は走ることが作業になるので、それこそ達成感がありません。五街道制覇したときも、それぞれ個別に日本橋に到達したときも、達成感よりも「やっと終わった」という感情のほうが大きく、いずれもやりきったことに対する喜びはありません。だから、普段は五街道制覇したことなんて完全に忘れています。
程よい距離で、スタートとゴールが違うときに、私は少しだけ達成感を得ます。基本的には1回も布団やベッドで寝ないこと。一昨年の夏にやった東北横断は夜中も走り続けたので、酒田に到着したときには達成感がありましたが、ホテルに泊まって、翌朝に日本海まで走ったときにはもう特別な感情はなくなっていました。
なんでそんなことを言い出したかというと、京都で過ごした最終日に半日ほど時間があったので、ずっとやりたかった比叡山越えをしてきました。京都から滋賀へ抜けるルートで、もちろんこれまでに走ったことはなく、でも浪漫があるじゃないですか。
山を超えて違う国に入るわけです。それも歴史的に有名な延暦寺を通過します。トータルで14kmくらいで、3時間ちょっとかかりました。走るだけに集中したら3時間は切れるので、あまり難易度は高くありません。比叡山越えのためだけにランイベントを組むのは難しいと思うくらい難易度は低め。
でも、山を超えて京から近江の国に行ったという事実が、達成感や高揚感を生み出していることに気付きました。私はこういう旅ランが好きなのでしょう。ロマンを感じられる道、それが困難であればあるほどワクワクし、走ったあとに満足するわけです。
そこに距離は関係ありません。そして、それは1度きりなんです。おそらく次にまた比叡山越えをしても、同じような感情になることはありません。1度走ってしまうと、そこにロマンはなくなります。そういう意味ではウルトラマラソンは飛騨高山ウルトラマラソンばかり走ったのが失敗だったかもしれません。
いわて銀河ウルトラマラソンがワンウェイだと聞いて、珍しくちょっとだけワクワク感がありました。何かきっかけがあれば走るかもしれません。実は、比叡山の登山口に向かう途中である動画を見て、走り方のヒントを得たのですが、それはウルトラマラソンのような長い距離で有効で、試してみたいという感情の種が植え付けられました。
その動画についてはまたご紹介しますが、おそらく私だからできる走り方だと思います。そして私もその走り方の可能性に触れられただけで、ここからどこまで広がるかはわかりません。でも理屈の上ではフルマラソンも速く走れるようになるのですが、今までやってきたことと融合できるのかどうかは不透明。
でも、こういう気付きがある限り、もう走らないと言っていたウルトラマラソンを走ることになる可能性があります。私がやりたいのは自分の体を自分で思うようにコントロールするということで、そのためにならどれくらい長い距離だって走ります。
今回の京都遠征で、自分がどのようなスタイルのランニングが好むのかが明確になってきました。これは愛媛マラソン後に取り組むことに大きな影響を与えることになるはずです。まだ抽象的だったものが具体的になってきたのですが、何をするかはまだ秘密。