ランニングはどれだけ試行錯誤をしても、「これで完成」という状態にはなりません。自分なりにそこにたどり着いたと思っても、時間が経過したら新しい発見があります。だから何歳になっても、まだ成長できると思えるのですが、これはもう「走道」だなと時々思います。
思うのではなく、その覚悟で向き合えばいいのですが、それは速さを追求しなくなってからのことになると思います。速く走ることを求めると、どうしても「道」からは外れてしまいます。それはオリンピックの柔道を見ていればわかってもらえるかと思います。柔道はスポーツになり「道」を失いました。
ランニングだって同じです。もっとも「走道」というものがそもそも存在していないので、外れる道はないのですが。ただ、速さを求めるなら体重を落とせばいいんです。体の使い方なんて枝葉末節の話。速くなるために体重を落とす。結果は出ますが、それは速くなることの本質からは外れます。
厚底カーボンシューズも同じで、速く走ることはできます。自己ベストを更新することもできるでしょう。スポーツとしてそれを否定するつもりはありませんが、私が「走道」の師範ならそれを認めることはありません。自分自身が成長していないなら、それは目指すべきところではないので。
だから私はいつもアンテナを張っていて、新しい情報やこれまでとは違うアプローチの方法などを探しています。それはとても楽しい作業であり、得られた情報を自分なりに試してみて、そしてアレンジしながら自分に馴染ませていく。その先にあるのは、自分自身の成長です。
こんな面白いことはありません。これまでと違う体の使い方をしたら、ペースが上がったとか、足の負担が減ったというのは、コロンブスが新大陸を見つけたときのような興奮があります。コロンブスがどれくらい興奮したかは知りませんが、とにかくフルマラソン完走よりも高揚します。
そして最近仕入れたのは、インナーマッスルを使って走るということ。私が見た動画では「背骨から始動する」みたいなニュアンスで説明されていた気がしますが、私の解釈としては、インナーマッスルの反発を1歩に繋げる走り方です。体の使い方に詳しい人がこれを読むと「それはない」と断言しそうですが。
インナーマッスルというのは、私たちの意志で動かすことができない筋肉であり、基本的には姿勢を保つための筋肉です。少なくとも現代の理論としてはそう解釈されています。大きな力を生み出せるわけではなく、体に安定をもたらすスタビライザーのような存在です。
そのインナーマッスルを使って走るというのは、人間の動作としても無理のように思えますし、大きな力を生み出せません。でも、現実に私はインナーマッスルを使って、これまでにない推進力を得ながらジョグをしています。自分の意識で動かせない筋肉ですので、かなり苦労していますが、その段階ですでに速いわけです。
もし、その体の使い方をレースペースにも落とし込むことができたら、サブ3なんて壁ではなくなります。もちろん上手くできない可能性もあります。でも失敗したところで何かを失うわけでもありません。むしろ失敗から学ぶこともあるわけで、どうやってもプラスになります。
ただ、インナーマッスルで走るためには、インナーマッスルを鍛えなくてはいけません。私はピラティスを始めてから、何年もかけて今の体を手に入れました。そんな今だからインナーマッスルで走れています。私が誰かに教えたところで、まず間違いなく再現できません。
再現性がなければ、それは技術とはいえません。さてどうしたものかと考えながら、インナーマッスルを使いながらランニング。腰の深いところが筋肉痛になってはいるので使えてはいますし、まだまだ速くなれると信じています。いずれにしてもまずは自分が習得しないことには話にならないので、言語化することも意識しながら走り続けるとします。