フィジカルからテクニックへ:いつまでも走り続けるために

愛媛マラソンに向けての走り込みをしてきたのもあって、ここまて炭水化物中心の食生活にしていました。走ることはエネルギーを消耗するので、とにかく補給することを意識。もちろん体重も意識していましたが、たとえば筋肉のつき方とかは、成り行き任せにしてきるところがありました。

それでも、脚の筋肉はこれまでにない削ぎ落とし方ができていて、以前よりもスピードを出せるようになっています。そのスピードに心肺機能がついてきていないので、あまり意味はないのですが。ただ、足が細くなっているのは、脂肪だけでなく、筋肉も落ちているからです。

落ちているのはランニングにそれほど関係ない筋肉ですので、それはそれで構わないというか、やっとそのレベルになったと安堵しています。私の体はサッカーをしていたのもあって、どうしても下半身に筋肉が付きがちです。出力は増えますが、足の重さがロスにもなってきます。


高出力で重たいのと低出力で軽いのとでは、マラソンにおいて有利になるのは明らかに後者で、短距離なら前者になるのはオリンピックや世界陸上などを見ていれば誰にでもわかります。有酸素運動の範囲で長い距離を走るなら軽いほうが圧倒的に有利になるから、マラソンランナーはあんなにも細いわけです。

そしてマラソンランナーが細いのは、走ること以外に使っている筋肉がトレーニングにより分解されているからと考えられます。筋肉というのは人間が生きていく上でとても大事なものであり、それが分解されるほど運動をするというのは、動物としてマラソンがいかに「やりすぎ」なのかがよくわかります。

やりすぎることを悪いとは思いませんし、そこまでやった人にしか見えない景色もあります。ただ、そこまでして記録にこだわることで、自分の命も削っているという意識は持つべきだとは思います。ランニング雑誌もランチューバーもみんな「速く走る」を追求していますが、その危険性については語りません。


むしろ速くなることがいいことだと煽っていて、多くのランナーの命を削っている自覚がありません。私が愛媛マラソンを集大成にするのも、このこととまったく無関係というわけではありません。速さは強さであり、弱さでもある。そのことに気づいたとき、潮時という言葉が頭に浮かんできました。

それでも階段や坂道などの別のフィールドで挑戦を続けようと考えているのは、そのフィールドなら健康的に鍛えられると感じているからです。軽さを追い求めるのではなく(軽いほうが有利ですが)、フィジカルだけでなく、テクニックでもある程度カバーできると感じているから。

坂道や階段はテクニックを身につけることで結果を変えられます。マラソンにもテクニックはあるのですが、マラソンのテクニックなどコンディションの好不調でひっくり返るくらいの影響しかありません。そこで勝負し続けられると思うほど、私も驕ってはいないつもりです。


そういう意味ではゴルフとかビリヤードみたいな、技術力が問われるスポーツも興味はあります。ダーツなんかも面白そうです。やってみるとハマる可能性も高く、生涯スポーツとして楽しめそうな気がします。ランニングは生涯スポーツにするのは難しいので、その代わりになるものがあると、人生にハリが出ます。

ただ、ここまで走ることを追求してきたわけで、だったらこれから先の道も、新しいことをするにしたってランニング関係がいいなと。人生はやり直しがきかない一発勝負。だったら自分の強みを最大限に活かすべき。だから、私にとってのベースとこれからの方向性は「走る」にあります。

なぜこんなにも走ることにこだわるのかはわかりません。ただハッキリしているのは、この道を選んでよかったということ。少なくともあと20年は、走り続けることができます。その後のことは知りませんが、ここからはランナーとしての寿命についても考えながら走らなくてはと考え始めています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次