知らない世界:心が踊る方向へ

今回の滋賀遠征では、帰りに長浜の町を少し歩きました。前回訪れたときには夕方だったこともあって閑散としていましたが、今回は日曜日のお昼時ということもあって、まったく違う雰囲気になってきました。人気のお店には行列ができ、多くのお店が賑わっていました。

今年の夏に滋賀を訪れるまで、長浜という町の存在すら知らなかったわけですが、世の中にはきっと、同じように知らない世界が広がっているのでしょう。そこには美味しい郷土料理があって、美味しい地酒がある。そしてなによりも、そこで暮らす人たちがいます。

そういうところに、微かに触れただけですが、ほっこりとしますし、自分の世界が拡張されていくのを感じます。そして同時に、すべてを見て回ることはできない現実が、虚無感となって私を包み込みます。残りの人生で、私はどれだけの風景に出会うことができるのでしょう。


国内にだって見たことのない景色があって、これが世界規模になると、もはや1ヶ所を見たくらいでは、何の価値もないのではないかと思うことがあります。もちろんそんなことはないのですが、まさに氷山の一角でしかなく、そこを眺めて、世界をわかったつもりでいるのは恥ずかしいこと。

結局のところ最後まで「わからない」「知らない」なんだと思います。世界の摂理も、成り立ちもわからないまま命を閉じていく。だからといって、無関心でいられるほど大雑把な生き方はしていません。やはり知りたいわけです。この世界のすべてを。それに意味がなくても。

私たちはそれを好奇心と呼んでいます。知りたくて知りたくて仕方ない。だから私はできるだけ違う道を歩き、違う場所を訪れたくなります。北京のような掘っても掘っても本質が見えてこなかったり、変化し続けている街は別ですが、私は意外と同じ場所に何度も出かけたりしません。


同じ場所に出かけても宿を変えたり、違うお店で食べたりしたいタイプ。今回の北京遠征では、値段と居心地の良さで2回ほど使っているゲストハウスではなく、今年できたばかりのゲストハウスを予約しました。値段が半額以下だったというのが決め手でしたが、降りたことのない駅だったというのもあります。

北京は地下鉄の駅ごとに、風景も並んでいるお店も変わってきます。前回と前々回に泊まったゲストハウスは、いま若者の手によっておしゃれに生まれ変わろうとしている地域で、それは新しい発見でワクワクしましたが、2回も泊まると好奇心が薄れていきます。

同じゲストハウスというのは、勝手がわかっているから安心です。だから、同じホテルばかり選んで泊まる人の気持ちはわからなくはありません。旅にしても出張にしても、安らぎを求めるタイプの人は、慣れ親しんだ宿の方が圧倒的に快適です。海外となればなおさらです。


ただ、私は知らない世界を経験するために生きているわけで、どんどん新しいことに挑戦したいタイプ。年齢を言い訳に安定を求めるのではなく、最後の瞬間まで新しいものを探し続ける自分でありたい。それが現実的なのかどうかはわかりませんが。

もちろん、60歳や70歳になれば、できなくなることだってあるはずです。好奇心も枯れてしまう可能性だってあります。ただ、それをいま考える必要はないかなと。少なくとも、まだ好奇心に満ちていて、新しい出会いを求めているわけで、そこは自分の欲に正直に。

もっとも、何でもかんでも興味があるわけではありません。美しい風景や建物、歴史などが私の興味の対象。あとは美味しいものも。ファッションやエンタメなんかはそこまで興味はなく、ワクワクもしません。その違いがどこにあるのかはわかりませんが、選ぶべきは心が躍るほうなのは間違いありません。

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