49年近く生きていると、誰だって大切な人の1人や2人はいるものです。それは家族かもしれませんし、友人かもしれません。もちろん恋人や夫婦という関係かもしれませんが、人間は1人では生きられないわけで、他人と関わって生きていれば、特別な感情を持つこともあるわけです。
私のようなフラフラした生き方をしていてもそうで、なぜかはわかりませんが、最近よく青春の香りを感じることがあります。10〜20代のあの日の空気感が突然甦ってきます。最初はその頃に似た匂いによるものだと思っていたのですが、映像にも反応していて、不思議な感覚に。
そんな青春の香りはいくつかの記憶を呼び起こしていきます。もう会うことのない人もいれば、もう20年以上も想い続けている人も。そこまでくると、出会った当時とは違う感情なのかもしれませんが、今でも会うたびに、気持ちは若かった頃に戻ります。
それと同時に、それぞれが過ごしてきた時間の中で、自分が触れてこなかったものを教えてもらえたりもします。「山形の即身仏は絶対に見たほうがいい」と教えてくれたのは、もう何年前のことでしょう。そのときの私は即身仏についてほとんど知りませんでしたし、縁もありませんでした。
ただ、山形には1年に1度、天童ラ・フランスマラソンで訪れており、数年前には日本横断で走ってもいます。本当なら今年の弘前・白神アップルマラソンは、長井マラソンを走るつもりでした。今年の夏は出羽三山参りをする計画も。ゆっくりとですが、じわじわ即身仏に近づいていました。
そして今年の天童遠征で、そのチャンスがやってきました。マラソン前日、晴れていれば芋煮をするはずだったのですが、あいにくの雨で仲間と何をしようかという話に。「みんながきょうみあふかわからないけど……」と持ちかけたところ、興味を示してくれました。
前置きが長くなりましたが、やっと即身仏に会いに行くことができました。山形にはいくつかの即身仏がいるのですが、その多くが庄内地区に集中しており、天童からは車で1時間ちょっと。会いに行く前に、鶴岡まで足を伸ばしたので、ちょっとしたプチ旅行でした。
私たちが向かったのは、湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊。おしゃべりな住職の話では、徳川家に大切にされていたお寺らしく、外観からしてただものではない雰囲気。建物は冬支度をしている状態でしたが、それでも存在感があり、即身仏が安置されていることを隠しきれない独特な空気感。
住職の面白おかしい自慢話をひと通り聞いた後に、いよいよ即身仏とのご対面。いや、それはもう圧巻でした。体の水分が抜けきっているからか、それとも即身仏が小さい方なのかはわかりませんが、想定していたよりもずっと小さく、それでいて優しくて穏やかでした。
写真や動画などの映像だけではわからないものがあります。その場の空気感だったり、圧のようなものであったり。住職の案内でなかったら、ずっとその場で向き合っていたかもしれません。それはもう一目惚れのような、その存在に引き込まれていくような感覚。
上手く伝えられるだけの文章力がなくてもどかしいのですが、こればっかりは私がいくつもの言葉を並べるより、山形を訪れて実際に見てもらうのが1番です。もちろん、興味があればということですが、山寺や銀山温泉だけではない山形の深さを、自分の目と心で感じてもらいたいところ。
庄内地区には他にもまだ即身仏もあり、しかも湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊は、出羽三山参りの入り口のひとつ。これはもうまた来るしかなさそうです。他の即身仏に会いにいきたいけど、まずは自分の中で即身仏の存在を消化してから。慌てなくても、きっと縁があって呼んでもらえるはずですから。