重たい体:老いとは何なのか

以前、5週連続フルマラソン以上のレースに出場したことがあります。最終レースが第1回のさいたま国際マラソンで4時間制限。疲労もそれなりに溜まっていたのもあり、FLOPERZEを履いてギリギリ完走でしたが、翌週も走れと言われれば問題なくこなせるくらいの余裕はありました。

いま思えば若かったのでしょう。今回の私は4週連続のレースでしたが、階段が1つとハーフマラソンをが2つ、フルマラソンが1つなのに体が重くて、日曜日の夕方ランは1kmも走らないうちに終了。回復しない自分の体に諦めの感覚と悔しさのような感情が入り混じっています。

歳を重ねているので仕方のないことなのですが、49歳という実年齢に対して、感覚的な年齢は上京してきた18歳の頃から変わってないので、そのギャップを上手く埋められずにいます。なぜ回復しないのか。もっと走りたい。そんな気持ちが膨れ上がると、走れない自分にヤキモキします。


そもそも、なぜ歳をとると回復しないのか。そこに納得していない自分がいます。筋力的な疲労回復というのは、もしかして10代の頃と今では、そこまで変わっていなくて、疲労に対する受け取り方が変わっただけではないかと思うことがあります。

筋肉痛が遅れてやってくるのは、痛みを感じにくくなっているだけと聞いたことがあります。本当は若い頃のように翌日に筋肉痛が来ているのに、痛みに対する感覚が鈍っているから遅れてくるように感じるのだとか。疲労感はその反対なのかもしれません。

鋭い痛みに対しては感覚が鈍化し(もしくは慣れ)、疲労感に対しては敏感になっているだけ。痛みや疲労の絶対値は若いうちも歳を取ってからも変わらないという仮説。とはいえ、傷の回復が加齢とともに遅れていくのも事実で、細胞の再生速度は目に見えて衰えています。


もし疲労の原因が、どこかの部位の損傷であるなら、加齢によって回復が遅れるというのは腑に落ちます。でも、損傷しているわけではないなら、先ほどの仮説もそこまで的外れな説ではないはずです。疲れていると思い込んでいるだけ。ただ、そうだとしても論理的に説明ができなければ納得はできません。

仮説に対しての考察なので、考えること自体が無意味かもしれません。ただ自分なりに答えは持っておきたいところ。まず、疲労感というのは間違いなく体からの「休め」の信号で、筋肉痛と同じで過負荷を避けるためのものです。ただ筋肉痛とはまた違った目的があるはずです。

目的が同じなら筋肉痛でいいはずで、筋肉痛に対して感覚を鈍化させる必要がありません。筋肉痛は、回復可能な範囲を超えての筋肉損傷を防ぐための信号だと私は考えています。体を動けなくさせて、強制的にリカバリーを促しているわけです。では疲労感は?


疲労感があるとき、体の中で何が起こっているのか。一般的な解としては、体内に発生した活性酸素が疲労感の原因とされています。活性酸素を減らすには抗酸化物質を摂取するのがいいとされていて、その代表的なものがビタミンになります。

では体内でビタミン不足を解消させて、アスタキサンチンなどの抗酸化物質をたくさん摂取して活性酸素を取り除けばいいのかというと、もちろんそんなわけではありません。確かにそれで走れるようになるかもしれませんが、活性酸素を取り除くのは対処療法にすぎません。

加齢によって活性酸素が溜まりやすくなる。人体がそれを選んでいる理由を知り、その上で対策を立てる(もしくは受け入れる)必要があります。ただ、今はそこまで学ぶ時間もないので、とりあえず抗酸化物質を意識して摂り、しっかり寝て疲労感を取り除くとします。

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