老化に抗う:若くあり続けることのリスク

昨日のブログで老化について書きましたが、まだ頭の中に霞がかかっているので、もう少しだけ言語化しておきます。自分の頭の中にある思考を文章にすると、基本的にはすっきりするのですが、今回は何も解決してなかったのもありますが、もう1歩踏み込みたいなと。

人間に限らず、生き物には寿命があります。それと同時に「子孫を残す」ということもしています。私の中の霞はこの部分で、寿命があるから子孫を残すのか、子孫を残すから寿命があるのか。私は当たり前のように前者だと考えていました。むしろ後者の可能性は考えたことがありませんでした。

あらゆる生物は「生き残る」ことを前提にして存在します。少なくとも、そうでなければ淘汰されて地球上に存在しなくなります。ただ、生き残るというのはDNAレベルの話であって、DNAにとって必ずしも同じ個体である必要はありません。むしろ、自然界において同じ個体であり続けることはリスクでしかありません。


他の生物に捕食される可能性もありますし、ケガや病気で個体を維持できなくなることも考えられます。そう考えると個体の代わりが必要になります。そこで子孫を残すというシステムを作り出したわけです。ただ、子孫を残しながら、前の個体も残り続けるといずれ飽和してしまいます。

飽和は食料不足を招き、種の存続を危うくしてしまうので、古い個体は時間の経過で壊れるように設計されている。これが寿命だというのが私なりの仮説。だから、ランナーが衰えていくことは、自然の摂理として仕方のないこと。DNAがそれを望んでいるわけですから。

そしてDNAがそれを望んでいるのであれば、老化に抗うことができないようになっているはずです。たとえば先日のテーマにした「抗酸化物質」と「活性酸素」ですが、あのあと少し調べたら、活性酸素が減りすぎると、認知能力が低下するようにできてあるのだとか。


体が酸化して老化が進むのを防ごうとすると、認知能力が低下して、別のところで弊害が出てくるように設計されているわけです。筋力の低下を防ぐために筋トレをしたり、体力の低下を防ぐためにランニングをしたりすると、必要以上に活性酸素が増えてしまうので、当然ながら寿命が縮みます。

反対に活性酸素の発生を嫌って、全く運動しないのも良くないのは、多くの人が直感的に理解しているかと思います。運動をしないと筋力が低下して、自分の体を思うようにコントロールできなくなります。自然界において、自分の体を自分でコントロールできないのは致命的です。

しかも前述のとおり、活性酸素が足りなくなると記憶力が低下します。だから、ある程度の運動は必要で、さまざまな研究結果から「毎日5km程度のジョギング」が理想ということがわかっています。これ以上のランニングは過剰に活性酸素を発生させるので、必然的に寿命は縮まります。


老化に抗うことは理論的に可能ではあるけど、命を削ることになる。多くのランナーにとって受け入れ難いことかもしれませんが、それが人間という生き物なのです。ロウソクの炎をより明るくすると、ロウは勢いよく減っていくのと同じです。だから、長生きしたいならレースに出るのをやめて、ジョギングだけに切り替えるべきです。

もちろん私は走ることをやめたりはしません。老化にも抗うつもりです。長く生きることに興味はありません。人は誰しも死んでしまうわけで、だったら好きなことだけをして生きたい。ずっと光り輝いていたい。それによって寿命が削られたとしても。

ただ、走ることが体にとって悪いことだということは、忘れないようにしなくてはいけません。マラソンは不健康なスポーツ。それでも人生を満たしてくれるスポーツでもあり、私は健康よりも充実した日々を選びたいだけ。

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