清廉潔白:隠し通せる嘘などない時代

人間は生きていればそれなりに負い目に感じるようなことも経験し、そのようなことを積み重ねて成長していけるものだと思っています。そして、私は人生においてやってはいけないことは「自殺」だけだと言い続けており、その他のことはすべて「経験」だと思っています。

成功も失敗も価値としては同じで、大事なのはその経験を次にどう活かすか。それは失敗を活かして成功するという意味ではなく、成功や失敗によってやってくる未来を、また次の経験にどうやってつなげていくかという話です。大事なのは経験することを止めないことです。

ただ、そんなことができるのは何者でもない自分であるときだけで、何者かになったとき、人間はその何者かに見合った生き方を選ばなくてはいけなくなります。そして、今の時代は清廉潔白でない限り、必ずどこかで叩かれることになります。


でも清廉潔白な人間は何者かになることはできません。この大きな矛盾から生まれるのは、何者かになった人間は、大なり小なり、潰されるための要素を備えているということ。それが表に出るかどうか、もしくは表に出されるかどうかだけ。

兵庫県知事のドタバタ劇について、私は内容をほとんどわかっていないのですが、結局のところ人を騙し通すことはできないということだと思っています。誰が正義で誰が悪なのかは知りませんし興味もありません。どこに着地しても私の人生には1ミリも影響がありません。

だからこそ思うわけです。悪いことはするべきではないと。これだけSNSが広がり、世界中にジャーナリストがいる状況で、公の場で何かをすれば必ずボロが出ます。そして悪事の捏造だって簡単にできてしまいます。正義はどこにもいられないわけです。


そんなこと誰でもわかりそうなのに、政治家に限らずなぜか多くの人は不正をして、それを隠し通せると信じているフシがあります。どういう理屈でそういう思考になっているのか私にはわかりませんが、偉くなった人間は、どこか傲慢になってしまうのかもしれません。

根拠もなく自分は特別だと思い込み、自分だけは大丈夫だと疑って信じない。私だってその立場になったら、まっすぐでいられるかどうかはわかりません。もちろん政治家になるつもりはありません。私のやってきた過去のことを掘り起こされると何が出てくるかわかったものではありませんので。

自分のやりたいことだけをやり続けるなら、出る杭になってはいけません。誰にも知られないようにひっそりと行動する。間違っても自己顕示欲なんて出すものではありません。誰かに褒めてもらったところで、自分自身が変わるわけではないので。


繰り返しますが、嘘はどうしたってバレます。そして、バレた瞬間から信頼は失われていきます。嘘を見てみぬふりをすると、今度は自分のことを信用できなくなり、心のバランスが崩れてしまいます。ひとつの小さな嘘が、大きな破綻を生み出すなんて、これまで何度も見てきました。

そうなりたくなければ、清廉潔白であるべきです。少なくとも自分の手は絶対に汚さないこと。それがいいことなのかどうかはわかりませんが、それもひとつの経験だとは思います。ズルく生き抜くという経験を積み重ねるのも、面白い生き方のひとつ。

ただし、大事なことなので繰り返しますが、嘘もズルいことも全部バレてしまいます。それを隠し通せる時代ではありません。バレても強い自分でいられる自信がないなら、正直に生きましょう。損したって失敗したっていいんです。それよりも嘘をつかない生き方を私はおすすめします。

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