2025年:年が変わることで流れは変わるのか

あけましておめでとうございます。

年末の仕事を終えたあと体調を崩してしまい、年始までほぼ寝て過ごしてしまいました。インフルエンザとか風邪とかいう感じではなく、ただただダルい状態が続き、随分と体に無理をさせてしまったのだと反省しています。

これまであまり書きませんでしたが、2024年は自分の人生において鬼門か厄年かと思うほど流れが悪く、その最たるものが、持ち物がどんどん壊れていく減少でした。iPhone 13 miniは望遠カメラのレンズが壊れ、ランニングウォッチもディスプレイにクラックが入っていました。

不注意で壊すときもあれば、知らないうちに壊れているというのは日常茶飯事。先日はカバンに入れていたクリスタルガイザーの底に穴が空き、カバンの中身が水浸しに。致命的なダメージが発生していないことだけが救いですが、そこにきての年末のダウン。


他にもここに書き出すと、身のうえ不幸話だけで本日の文章を書き終えてしまえるのですが、2025年になったことで流れが変わることを期待している自分がいます。年号なんていうのは、昔の誰かが決めたことで、何もない1日も元旦も、本来なら同じ「1日」です。

ただ、2024年くらい年間を通してネガティブなことが続くと、年号が変わることがほんの少しでも良い運気を引き寄せてくれるといいなと。いえ、運気は良くならなくてもかまいません、ネガティブな側への吸引力が収まってくれれば、あとは自分でなんとかします。

そのために大事なのは、「正しく生きる」こと。そんなことで流れが変わるなんて信じない方もいるかもしれませんが、お天道様はきちんと見ています。というのは冗談で、少なくとも自分の心理として後ろめたいことがなくなれば、それだけ新しいことへの思考へと時間を使えます。

まだ体調は万全ではありませんし、この期間に止めてしまった仕事がいくつかあります。万里の長城マラソンとランレコード、RUNWAYの新しい投稿がそれで、せっかく止めたのですから、2025年は新しいスタイルで実施したいなと。

今日はそれについて1つずつ検討する1日にしようと思います。まだ走りに行けるほどではありませんし、2024年の悪い流れを断ち切るのにも、そういうところも変えていく必要があります。できれば自分の負担をもう少し減らせるといいのですが、人生はそこまで甘くなく。

そもそも自分がやるべきことが多すぎる問題はあるのですが、そんなことを言っていたら、いつまで経っても小説制作が始まりません。忙しくてもやるべきことを1つずつ積み重ねる。どうしてもという状況であれば、大きな何かを手放すことも視野にいれる。


2025年を2024年の続きにするのか、それともまったく違うものにするのかは自分次第。現状維持で満足している人が無理に何かを変える必要はありませんし、むしろ私と同年代の人たちは、チャレンジよりもまずは守りを固める段階です。

だから私の真似をしてあれこれ手を出すのではなく、主となる仕事を1つ持ち、自分のやりたいことを1つ持つ。それ以外には脇目も振らず、毎日を送っていくのがおすすめです。それができれば苦労しない?なら私と一緒に2025年も慌ただしくいきましょう。

すべてを手に入れることはできません。とりあえず私がまず手に入れなくてはいけないのは、健康的な体。あたり前のように走れて、あたり前のように立ち仕事ができる状態に、一刻も早く戻して、少しでも速くリスタートを切れるようにします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次