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ランニングの仕事をしていると、年末年始には「箱根駅伝は観に行くの?」と聞かれることがありますが、藤沢で暮らしていたときに数回観に行ったことはありますが、目の前を通過するのは一瞬でしかなく、それを見たところでというのもあって、今では沿道に行くことはなくなりました。
そもそも学生時代はサッカーをしており、私は陸上競技としてのランニングをしたことがありません。なので箱根駅伝という存在に、それほど気持ちが揺らぐことはありません。それは高校時代に野球部がなく、甲子園に縁がないままおとなになったというのとよく似ています。
私の出身校である湘南工科大学は、数年前から箱根駅伝出場を目指しているようで、学生が寮生活などをしているようなのですが、もし私が学生だったときに行われていたら、箱根駅伝に対してもそれなりに気持ちが入った可能性があります。
みんなが熱狂するものを、巧みにかわしてきた人生。音楽やファッションなども同じで、とにかく大きな流れに乗ることもなく、自分独自の路線のようなものを進み続けてきました。でも、最近になって動画で箱根駅伝を観戦する機会が増えてきました。
今も箱根駅伝をTVerで流しながらこのブログを書いています。観ているとやはり面白いもので、展開がかなり気になってしまいます。なので、本当は作業をしているときに流さないほうがいいのですが、完全に無視することもできず。
無視できないのは、仕事で大学駅伝の選手たちとの接点が増えたことが影響しています。たとえば、國學院大學の平林清澄選手には1対1でインタビューしたこともあり、そうなるとどうしたって情が湧きます。そうやってちょっとずつ箱根駅伝との距離が縮まってきました。
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ただ、RUNNING STREET 365はいわゆる「市民ランナー」を対象にしたサイトであり(市民ランナーとは何だという定義はここでは置いておくとして)、基本的には陸上競技アスリートを特集するようなことはありません。
だから、箱根駅伝の選手にしてもオリンピアンにしても、一定の距離をとって接しています。そういう人たちにインタビューできる自分に酔っているジャーナリストもいますが、それが許されるのは陸上競技専門誌や大手マスメディアだけ。
RUNNING STREET 365のような小さなサイトでは、本来の目的を見失わないことが大切です。ちなみに、広告代理店の方などに、RUNNING STREET 365は1人で運営していると伝えても、なかなか理解してもらえません。私が思っているよりしっかりできているサイトなのでしょう。
それでも箱根駅伝を観てしまうのは、学生という成熟していない若者が走ることで、自分の能力を120%引き出したり、その能力の半分も出せなかったりするためです。現在1区の映像が流れていますが、16kmをすぎても2位集団が19人もいて、彼らはそれぞれ「そんなつもりはなかった」となっているはずです。
自分がヒーローになる。そんな学生らしい傲慢さを持っていたのに、いざ走り出すとそれが消えてしまう。そこにドラマがあります。それでいて1人の失敗で勝敗が決まらないのも箱根駅伝。そこにずっとドラマがあるから芽を離せなくなる。
そして私にはそんな時間がありません。明日はもう外仕事が始まります。今日もやるべきことがいくつもあるので、やっぱり長く寄り添うことはできそうになりません。付かず離れずという距離感がこれからも続くのでしょう。どれだけがんばっても出場できるわけではありませんし。