SNS卒業宣言:50歳でXとInstagramの個人アカウントを解除する

昨年あたりからX(Twitter)のタイムラインが、随分と気持ち悪いものになったと感じています。とにかくインプレッション数(表示回数)を増やすことを目的とした投稿が増え、それはもう字数とかまったく関係なく、連投をしてひとつの投稿にするといったもので、それを思いついた人には賛辞を送りますが、それを真似る人が増えて気持ち悪い。

その最大の理由は、その投稿に中身がない時間泥棒でしかないから。でも、Xでその投稿が伸びるのは、Xがそれを推奨していることを意味します。もちろんSNS側の言い分もわかります。1分1秒でもそのSNSに利用者が滞在することが、Xにとっての利益になるわけです。

滞在者と滞在時間が長いほど、広告が表示される回数も時間も増えるわけで、その投稿が公序良俗に触れるものでなければ、ユーザー満足度よりもその投稿を多くの人に表示させることを優先します。少なくとも今のところは。


おそらく、しばらくしたら「あの投稿はうざい」となり、あまり表示されなくなってインプレッション数を獲得できなくなりますが、そしたらまた新しい手法が生まれてくる。別に誰が何をしようが構わないのですが、それによってタイムラインが汚くなるのは好ましくありません。

あとはリツイートすることでプレゼントがもらえるキャンペーン。プレゼントをもらえるわけなので、1日に1〜2回くらいリツイートするのは構いませんが、その人のリツイートだけでタイムラインが埋まるようなこともあり、他の人のタイムラインを汚している自覚がないことを残念に思いながらフォロー解除することが増えています。

以前も書きましたがSNSはそろそろ限界かなと感じています。少なくとも個人として利用するXは、もはや未来を感じられません。RUNNING STREET 365や万里の長城マラソンなど、「知ってもらいたい情報」を発信するのには便利ですが、個人でやれることはほとんどありません。

情報収集ツールとしてはまだ使えますが、RUNNING STREET 365や万里の長城マラソンのアカウントがあれば、自分のアカウントを持ち続ける理由はありません。私にはこのブログがありますし、たとえば遠征先などで、SNSで誰かと何かを共有したいという気持ちにはなりません。

北海道に行ったなら、その視界の範囲内にいる人と何かを共有するというのはありです。でも、その時の感情を東京や大阪にいる人に伝える必要性を感じません。ただ、それはあくまでも私のスタンスであって、おそらく世の中の人の大半は共有したいんだということはわかっています。

だから、その人たちを否定するつもりもなく、単純に私がSNSと距離を上手く取れなくなってきただけのこと。UberEatsの配達をしているときに情報収集のために5chを見ていましたが、今はまったく見なくなり、困ったことなどひとつもありません。きっとSNSも同じなのかもしれません。


SNSをやっていると、「何かをやっている」感が出ます。実際に万里の長城マラソンなどは、それを見てエントリーしてくれる人もいます。だから無意味なわけではありません。でも、自分の限られたリソースをどう使うか考えたときに、もう自分のSNSアカウントは必要ないかなと思い始めました。

Xでしか繋がっていない人もいますが、RUNNING STREET 365や万里の長城マラソンのアカウントは残ります。そういう意味ではInstagramの個人アカウントも不要かなと。いずれも50歳の誕生日に365個目を手放したらアカウントを手放します。

少しでも手に持っているものを減らさないと、50代を生き抜ける気がしないので。Facebookは残しますが、リアルで繋がりのある人だけのコミュニティにするかもしれません。2025年はそんな感じで、デジタル上の断捨離も進めていくつもりです。ちなみにDAZNは解約済みです。

著:アダム・オルター, 翻訳:上原 裕美子
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