メリハリのあるトレーニング:ランニングの本質を見落とさないために

昨日は久しぶりに計画的ランオフ。年末年始の寝込んでいた期間はしっかり休みましたが、トレーニングできるコンディションの日に走らないのは、いつ以来かわかりません。立ち仕事&都内への通勤でそれなりの運動量にはなりますが、そこは健康維持のための最低限の運動ということで。

休みを入れたのはもちろん愛媛マラソンのため。ここ1週間で筋トレが2回と20km走が1回あったのに加えて、初めてのAmazon倉庫のアルバイトで疲れていたのもあり、ここは休むところと判断しました。こういうことをしないといけないのが、マラソン大会と向き合うネガティブな面だと思っています。

理想は毎日10kmほど走って、心身ともに安定した状態を保つことです。マラソンを走ると、レース前に休みを入れたり、走り終えてから数日は完全オフにしたり、いつもと違うことをしなくてはいけなくなります。いつもと違うことは、心の乱れにつながります。


そういう意味では、アルバイト先は1〜2社に絞るべきなのですが、そこは好奇心のほうが強くて、あれもこれもやってみたいが勝ります。ただ、荒れていく部屋を見て、荒んできてるなとは感じます。ひとつのことに集中できていれば部屋はそれなりのキレイさをキープできますが、あれもこれも手を出すと見事なまでに荒れていきます。

個人的には人間は波風立てずに平穏に毎日同じことの繰り返しをするのが、最も穏やかに生きられる方法だと思っています。悲しいことだけでなく、嬉しいことにも心を大きく動かさない。自分がそれを実行できているかどうかは別としてですが、目指しているところではあります。

そういう意味ではランニングと生き方というのは面白いほどリンクしています。メリハリのあるトレーニングをすると、効果的に鍛えられますが、目に見えない精神的なストレスは大きくなってしまいます。喜んだり悲しんだりを繰り返す生活も、ストレスの要因となります。

いかにして心を乱さず、やるべきことを淡々と積み重ねるか。そのスタイルの存在を20代の頃に知りましたが、その頃はまだ尖っていたので、喜びを感じられる生き方に全振りしていました。頭で理解していても、行動が伴わない。それが若さなのですが、やっとその頃に学んだことを活かせる年齢になってきたのでしょう。

今年の愛媛マラソンを集大成とするというのは、そのこととも関係があります。ひとつのレースのためにメリハリのあるトレーニングをして、日常を乱す生き方ではなく、毎日コツコツと積み重ね続ける生き方を選びたい。フルマラソンを走りはしますが、前日までいつも通りトレーニングできる自分でありたいわけです。

それでいて、コンスタントにサブ3.5ができれば理想ですが、タイムが落ちてきたら、それはそれで仕方がないこととして受け入れます(すべては体重管理次第ですが)。そこでサブ3.5にこだわることが、心の乱れにつながります。こだわりを手放すことができれば人生はもっと豊かにできます。


柳緑花紅(柳は緑、花は紅)という禅語があります。先入観や偏見などを取り除いていくことで、物事をありのままの姿で捉えられるようになるという意味があるのですが、サブ3やサブ3.5とか言っているようではランニングの本質を見落としてしまいます。

いつも言っていることですが、ランニングはもっと自由であるべきです。でも私を含めマラソン大会に出場する多くの人は、速く走ることが素晴らしいことという先入観を持ってしまっています。それゆえに、スポーツマンシップを見落としたり、自分勝手な行動を取ってしまったりしています。

その先入観を私1人で完全に払拭することはできませんが、一石を投じることくらいはできるのではないかと考えています。そのためにはまずは自分から降りること。そして淡々と毎日必要な距離を走ること。そうやって見えてくる世界を発信していこうと思います。

著:石井ゆかり, 写真:井上博道
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