春眠:常識は時代とともに変わるもの

春眠暁を覚えずという有名な漢詩があります。私はこれまでずっと、春の暖かさによって、寝過ごしてしまうみたいな内容だと思っていました。でも、ここでいう「春」は、もしかしたら今くらいの季節なのではないかと思い始めています。なぜなら、毎日しっかり眠いから。

確かに春の暖かさは眠りに誘うような気がしますが、寒さのピークを迎えるこの時期は、どれだけ寝ても寝足りない感じがあります。そして、今は「新春」です。旧暦の春は1〜3月のことで、有名な漢詩が作られたのもおそらく旧暦ですので、あながち間違っていないはず(それを言うと、今は旧暦の12月なので冬ですが)。

なぜ眠くなるのかはわかりません。ただ、冬は瞬きしただけで朝を迎えてしまいます。眠ったという感覚がないうちに、腕時計が起床時間をお知らせしてくれます。そして、なかなか寝床から抜け出せずにいます。昨日は最低気温がマイナス2℃だったようで、それも寝覚めの悪さに影響しているのでしょう。


朝起きて作業を始めれば眠気は無くなります。以前は朝起きてすぐに走りに行っていましたが、そういう時も瞼が開いていないような状態で走り出すわけで、1kmくらい走ったところでようやく現状を把握できるようになっていました。要するに眠くても動き出せばなんとかなるわけです。

ただ、すぐに眠くなります。電車移動をしているときに本を読んでいると、話が半分入ってこなくなり、いつの間にか寝落ちしています。自宅作業をしていても、朝ごはんを食べて血糖値が上がったら、耐えきれないような睡魔に襲われます。

私はそれを「冬」の風物詩と思っていたわけですが、どうやら人類の長い歴史においては「春」の風物詩だったようです。歴史を意識した小説を書くときに、この旧暦の季節感とどう向き合うかというのは、とても大切なテーマのひとつになります。しかも私が手がけるのは北海道。

旧暦の春は雪に包まれているわけです。当時の人たちが、北海道の春をどう捉えていたのか、そもそも江戸から明治にかけての春は、庶民にとってどのようなイメージだったのかをきちんと調べる必要があります。私たちの常識は、歴史的には非常識だったりするわけですから。

もちろん、どちらが正しいという話ではありません。私たちの頭の中には「春=桜」という意識があります。それは江戸時代もそうだったのかというのはとても興味があります。少なくとも春がお別れや出会いの季節というのは、現代人の感覚でしかありません。

時代に合わせて常識が変化していく。これはとても興味深いことです。人間の適応力の素晴らしさによるもので、私は「時代はどんどん変わっていくべき」派です。ただ、すべては過去の歴史の上に立っていることを忘れてはいけません。いきなり現代文明が現れたわけではないのですから。


歴史を学ぶことは、人が生きていく上でとても大切なことです。言うまでもありませんが、その「歴史を学ぶ」というのは年号を覚えることではありません。大化の改新がいつ起きたかなんて覚えておく必要はありません。大事なのは、なぜ起きたかを知っておくこと。そして、それが現代にどういう影響を与えているかを考えること。

北海道には北海道神宮があります。そこには明治天皇が祀られているのですが、その事実から学ぶことはたくさんあります。そして、物語にできそうな原石がいくつも転がっています。その歴史を学ぶことで、書けることが増えていくわけです。

ただ、学ぶときに「当時の人たちはどう思ったのか」という視点を忘れないことも大切。歴史書にはなのある人物しか登場しません。でも、歴史を動かしたのはいつだって庶民。だから庶民の風習や生活を学ぶ必要があるわけです。彼らが「春」とどう向き合ってきたかも含めて。

岩波書店
¥1,760 (2025/01/17 21:51時点 | Amazon調べ)
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次