
大手企業がCMを停止するなど、フジテレビの不祥事がかなり大事になっています。いつも言っていることですが、今の時代に隠しごとをすることはほぼ不可能で、それも大手企業かつ被害者になる存在が出てくると、かなりの確率で表沙汰になってしまいます。
昭和の時代は、権力が機能していました。ところが、少なくとも今の若手は自分の所属する企業に対して忠誠を尽くすことはありませんし、むしろ中に入ったからこそ敵対しすることすらあります。そして、かつてのように組織を裏切ったときの制裁もなくなっています。
かつてはそれこそ、裏社会の人間が絡んでくることもあったようですが、今はそれがありません。組織を裏切ったところで、夜道に気をつける必要がなくなったわけです。それどころか、被害者となった場合には、裏切ったのは組織側になるので、当然ながら復讐する可能性だってあります。
だからもう隠さなくてはいけないこうなことは、このタイミングで徹底して排除したほうがいい。それはテレビ局だけの話ではなく、社会全体の話として。個人としても、理想は隠さなくてはいけないことはないほうがいいのですが、人間生きていれば、隠したくなるような過去の1つや2つくらいあるものです。
そういうものは墓場まで持っていけばいいだけのこと。間違っても武勇伝のように酒の場で語ってはいけないこと。ましてや、それなりの知名度のある人ならなおさらです。知名度のある個人は、大企業と変わらない影響力があり、敵もそれだけ増えるわけですから。
敵がいれば引きずり落とそうとしてきます。誰かを引きずり落としたいという感覚が卑しいので好きではありませんが、それが人間というものです。出る杭を打つのはことわざになるくらい、昔から当然のようにあった行為で、弱みを握られたらそこですべてが終わります。
ただ、人間はどうしたって欲には敵いません。悟りを開くという方法もあるようですが、そんなものが本当に存在するのかも知りません。悟りを開くために女性を近づけない「女人禁制」という仕組みがあります。「血の穢れ」のようにも言われていますが、シンプルに女性が近くにいると男性は心を穏やかにできなくなります。
それは動物としての本能のようなものでもあり、抗うことができないものです。理性とか道徳とか言ったところで、人間は動物なわけです。DNAに従えば、子孫を残すことだけがすべてであり、本能に従えは女性と男性はどうしたって結ばれることになります。
隠しごとのない社会が実現すると、世の中の少子化はさらに進んでいきます。少なくとも、男女の関係を不浄とする考え方があるうちは。そして裏では犯罪も増えていきます。抑圧された欲は、どんな種類の欲でも、必ず暴発します。それは歴史が証明しています。
隠さなくてはいけないことは少ないほうがいい。ただ、隠さなくてはいけないことの見直しは必要なんじゃないかと。少なくとも今の日本は、社会全体が大きな矛盾を含んでいます。「失敗は恥ずかしいことじゃない」と言いながら「なぜ失敗した」と詰め寄るようなことがどの職場でもあります。
できるだけオープンにすること。これが次世代の資本主義に求められるスタンス。基本はあくまでもそれであることは間違いありません。ただ、人間の欲をどうコントロールするのかも含めて考えていかないと、同じようなことが何度も繰り返されます。
ただ、ここであれこれ書いたところで社会は変わることもありません。だから、私個人として「隠さないこと」「嘘をつかないこと」を基本スタンスにしていきます。それでも、言えないことは出てきますけどね。私だって人間ですから。