
久しぶりに小説を読む時間が増えていますが、ストーリーの展開に驚かされることはなく(むしろ大抵予想通りになる)、表現方法に驚き、ドキドキが止まらなくなることのほうが増えてきました。年齢のせいかもしれません。積み重ねた経験と自分の至らなさがそうさせているのか。
もっとも昔から「事実は小説よりも奇なり」というように、現実社会で起きているあれこれのほうが驚かされます。それでもやはり、とんでもないことが起きるのは数年に1回であり、たとえば地震による災害は、阪神淡路大震災以降、イメージできるものになりました。
世間を騒がしているフジテレビの騒動だって、何ひとつとして新しいことはありません。むしろ、小説や漫画の世界では使い古された出来事であり、いくら社会が変わっても、人間の欲望なんて変わることがないんだなと感じるだけです。
渦中にいる人たちはそれどころではありませんが、とりあえず私にとっては自分の外で起きていることであり、直接的な影響はありません(桶屋が儲かるシステムで何らかの損得は発生しているのだとは思いますが)。だから、客観的に見ているのですが、自分が当事者ならどうするだろうと考えることはあります。
それは自分の思考を確認したり、新しいアイデアを見つけたりするためであって、私がテレビ業界に足を突っ込むことを想定してのことではありません。私はどこまで行っても裏方の人間です。今年で50歳になる年齢ですので、それくらいの自覚と決意はあります。
ただ、「不正に関与」という点に関しては、これまでの人生でもこれからの人生でも必ず起きます。人と関わる仕事をしていれば、私でなくても誰にでも起きることです。現実で起きていることに対してシミュレーションしておくことで、そういうときに行動の選択肢を絞りやすくなります。
過去に1度、社長からなかなかな不正を要求されたことがあり、それはやんわり断りましたが、いま思えば退職願いくらい出しておけばよかったなと。少なくともいまの私ならそうしています。あの頃はまだ若手(30代ですが)でしたし、断るので精一杯でした。
RUNNING STREET 365でランニングアイテムやシューズをレビューして紹介して欲しいと頼まれることがあり、それも不都合な真実を削除してほしいとお願いされることもあります。広告ではないし、それはランナーを裏切ることになるからはっきりと断ります。
「では今回はなかったということで」と。原稿1本分無駄になりますが、それがRUNNING STREET 365であり重松貴志なので仕方ありません。ただ、そう言えるのは歳を重ねてきたからなのでしょう。きっと私の60代は頑固な爺さんになるはずです。
小説よりも奇なことは、意外と身近なところで遭遇します。とくにSNSにより誰もが思いつきで発信できるようになったので、一見すると普通の投稿のように見えて、「これは裏がある」と感じるものが多々あります。それは本当に小さな違和感なのですが、違和感があれば大抵は奇なことが裏で起こっています。
もちろんそれはSNSだけではありません。たとえばマラソン大会などにも潜んでいて、取材をするときは、それを見落とさないように注意しながらランナーを追います。事件はいつだって現場で起きていて、私はそれを見つけるのが好きなわけです。
ちなみに不正に対しては、「絶対にしてはいけない」とは思っていません。私がしたくないだけで、世の中には不正をする人がいて当然だと思っています。その人は「不正をする」という経験を積んでいるわけで、人生とは経験することであると思っているので、他人の経験の邪魔をする気はありません。
その考えもまた、小説よりも奇なのかもしれませんが。