柳緑花紅:大木になれない男の生き方

愛媛マラソンが終わってから、小さな咳がずっと続いています。愛媛マラソンで呼吸が怪しかったので、もしかしたら大会前からトラブルを抱えていたのかもしれません。今となってはどっちでもいいのですが、ベストコンディションでないのは何かと気持ちよくありません。

体調が安定しないのは明らかに痩せすぎが問題なので、しっかり食べるようにはしていますが、それでも自宅ではあまり食べないタイプで、しかも減量により食が細くなっているので、体重が戻るのに少し時間がかかりそうです。むしろ、この体重に慣れた方がいいのかもとも思い始めています。

結局のところ、変化に適応できなくなっているだけなんだと思います。若い頃との最大の違いはそこにあり、新しいことを始めても、すぐにそこにシフトチェンジできない自分がいます。アルバイトでさまざまな職場に行っているにも関わらず、適応力が下がっているのは困りものです。


それが人間だと開き直るのは簡単ですが、適応力こそ私の強みだと思っているので、少し足掻いてみようとは思います。とはいえ、いろいろな面で、これまでと同じというわけにはいかなくなってきているのは事実。マラソンもそうですし、働き方も生活も。

これまでは勢いだけでやってきましたが、きっとここからはそうはいきません。だからこそ、シリアスランナーであることをやめたわけですが、どうすれば道が開けるのかはわかりません。やれることはひとつずつ丁寧に進めること。それ以外には何も思いつきません。

いまできることは、「これまで通りとはいかない」と認識することだけ。そして、自分が正しいと感じた道を選ぶことだけ。その上で、選んだ道でゆっくりと適応していく。焦ることなく。時間はかかっても適応できるのが人間です。他人より少し優れていたのが、他人と同じレベルになっただけのこと。

失ったものもあれば手に入るものもあるのが人生。困ったことに、私自身が何を手にしたのか把握できていないという問題はあるのですが、年齢を重ねることで、必ず何かを手にしているはずです。できれば風格みたいなものが欲しかったのですが、どうやらそれは無理そうです。

たとえば北方謙三さんのような、「漢」と呼ばれる人たち。私の道はそこへは通じていません。少し前まではそういう道もあると思っていたのですが、どうやら気のせいだったようです。どちらかというと私は柳。どっしりと構えるのではなく、ただ流されるタイプ。

流れに逆らわないことが、まさに適応なわけですが、どこかで「大木になれる」と希望を持っていたんです。でも、どこまでいっても柳は柳。もちろん、柳には柳の美しさがあり、魅力もあります。だからないものねだりなわけですが、そこから抜けるには、まず柳であることを受け入れる必要があります。


ようやくそれができ始めたというところです。本来なら40歳くらいでそうあるべきなのですが、50歳になってようやく、その領域に手がかかりかけているところまできました。その領域に入ったからこそできることを見つける。1年かけてそれを探していこうと思います。

もっとも、目の前にあるやるべきとこだけで手いっぱいだったりはするのですが。あれこれ手を出したら、あるこれできるようになって、やらなくてはいけないことが増える。なのに適応力は落ちてるから、何をするにしても時間がかかります。困ったものです。

きっと過渡期ゆえの悩みなのでしょう。きっと半年後には飄々と毎日を過ごしているはずです。そして、いま以上に忙しくしているのでしょう。それはそれで私らしくていいかなとは思いますけどね。大木になれない柳なのだから仕方ありません。

著:北方謙三
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