
生まれてきた時代が良かったと思うことがよくあります。フリーランスとして自由に働くことを公にしても後ろめたさもなく、それでいて昭和の「24時間戦えますか」の雰囲気も残り香程度には体験していて、どのような職場においてもそれなりに適応できています。
もし、今の時代に新卒で社会に出ていたら、世の中に絶望していたかもしれません。会社には厳しく指導してくれる先輩もいなくて、それでいてYouTubeなどには向上心を煽るような動画がいくつも上げられていて、目標は高いのに、そこに辿り着く方法がありません。
その環境で成長していけるのは一部の人だけで、厳しさのない世界に身を置くと、ほとんどの人が怠惰な方へと流れていきます。そして怠惰であることすら多様化社会は受け入れてくれて、気がついたときには、何もできない自分になっていることに気づいて絶望する。
食べていくだけのお金は手に入ります。ストレスなく仕事はできます。ただ、生き抜いていくだけの力が付いていない。30代でそれに気付けばいいほうで、人によっては60代の再雇用されるタイミングに、自分には何もないことに気づくこともあります。
成長するのに、なんらかの厳しさは必ず必要になります。それは外部からの厳しさでもいいですし、自ら厳しくするのでも構いません。人生のある地点で、圧倒的な厳しさを体験した人間にしか出せないものがあり、それは生きていくためにとても重要なものでもあります。
そして、誰かに厳しくされずに、自分に厳しくなれる人はいません。厳しく指導される環境で育った人は、それが当たり前の状態になります。だから、特別なことをしているつもりもなければ、自分に厳しくなることを苦しいとも思いません。だから、普通にしていて周りとの差が出てきます。
反対に厳しく指導してくれる人がいなくて、チヤホヤされる立場の人はどんどん怠惰になっていきます。もちろん本人にその意識はありません。でも、もう時代の流れで厳しく指導することは難しくなっています。厳しいどころが、普通の指導すら簡単ではありません。
受け取る側が不快に感じたら、それはもうパワハラになります。だったら何も言わないほうがいい。もしくは「あなたは悪くないよ」と味方してあげるほうが好感度が上がります。でも、誰かがやらないと、国がどんどん弱っていきます。ただでさえ働き方改革でボロボロなのに。
ダメなものはダメ。そうはっきり言うのには勇気がいります。それを言えない風潮が世の中にあるので、誰も厳しくしてくれない。家庭内ですら、親が子に厳しくできない。それで、まっすぐに成長するなら構いません。厳しさなしで立派な社会人に育つならそのほうがいいに決まっています。
でも、現実世界を見ればそんなことがないのは明白です。緩くて居心地がいい雰囲気に包まれていたい気持ちはわかります。競争のない世界であれば、それでまったく問題ありません。残念ながら、私たちは資本主義社会を生きていて、どうしたって競争は生まれます。
愛のある厳しさ。それはもう過去の言葉であり、厳しいものはそれだけで存在してはいけないという風潮。それはこれからさらに強くなっていくはずです。だから、そうなる前に生まれた私は運が良かったと思います。少なくとも、そこそこ厳しく育ててもらいましたし。
間違いを犯した人に厳しくなれないなら、せめて持ち上げないことです。「あなたは悪くない」という言葉が、その人を弱くしていきます。少なくとも私はそれを優しさとは思いません。本当に相手のことを思うなら、「ダメなものはダメ」とはっきり伝えるのが優しさです。
