年齢相応:疲れやすくなっていることを受け入れる

幼い頃は体が弱かったのですが、スイミングから始まり、野球、ハンドボール、サッカー、ランニングと運動を続けてきたことで、大人になってからは健康体を手に入れることができました。おそらく同年代と比較しても、アクティブに動けているほうです。

ただ、ランニングを除いてどの競技も平均以下の競技力でした。高校サッカーなど1度も公式戦のベンチにすら入ったことがありません。それでもプロ試験に練習生合格したわけで、それなりのレベルには到達したなのだと思います。そこで燃え尽きてしまいましたが。

体を動かすことが好きかと聞かれると、案外そうでもありません。ランニングもフリーランスになって運動不足になるのが不安で、毎日しっかり走るようになりました。それまでは走れる日に走るくらいのレベル。基本的にはパソコン作業しているときが1番幸せです。


それでも健康であることの恩恵を受けてきたことを考えると、これからも走り続けますし、誘われれば、またフットサルもしてみたいところ。ただ、北海道で働いていた2年前から、体のあちこちにトラブルを抱えるようになりました。

この2年でトラブルゼロの健康体だった時期はわずか。いつもどこか調子悪く、絶好調というときはほとんどなかった気がします。そして、ここ最近は疲れやすさを感じています。これが人生の折り返し地点に立つということなのかと、変に感慨深くなったりもして。

若い頃は「五十肩」なんて都市伝説だと思っていましたが、どうやら私も無縁ではなさそうです。今のところ物流の仕事をしていることもあり、上半身の可動域が狭まったと感じることはありませんが、その日がやってきても驚くことはありません。

どこが故障してもおかしくないくらい、いつもどこかが傷んでいて、今年の愛媛マラソンを区切りにしたのはあながち間違った判断ではなかったような気がします。ただ、それに合わせて、フィジカル面で体が強くなっているようにも感じています。

重い荷物を持つことに不安はありませんし、体の見た目もまったく節制していないのに、それなりにキレがあります。むしろケガをするのをその動きに体がついて来れていないような感覚があります。スピードを出して走れるけど、そのスピードに体が耐えられない。

そこに少しだけ期待していますが、加齢によって体が思うように動かなくなるのは、どうしたって避けることができない自然の摂理。そして、いま確実にそれが始まっています。だから、これまでのように疲労感があるのに走るとかいうのはしません。


とにかく体を休めること。そしてコンディションが整ったうえで走る。もう1週間で150kmとか160kmとか走る必要はないのですから。仕事も立ち仕事である程度の筋肉も使っているので、実質的にはトレーニングしているようなものです。

私が考えている以上に私の体は疲弊しています。まずはその現実を受け入れること。若い頃と同じようには回復しないことを認知すること。まずはそこからはじめなくてはいけません。気持ちのどこかでまだ若いと思い込んでいるところから変えていきます。

きちんと年齢相応の言動を心掛けて、そろそろ大人の振る舞いを身につけなくてはいけません。ただそれも、健康的だからできること。いつも言っていることですが、自分の体が弱いことを受け入れて、とにかくしっかり寝ること。走りすぎないこと。

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