W杯:目標を世界トップレベルにする意味

サッカー日本代表がW杯出場を決めました。8大会連続8回目ということで、初出場から28年、ジョホールバルの悲劇から32年が経過したことになります。当時はまだサッカーで食べていくことを夢見ていた学生で、ジョホールバルとこはまだはっきりと覚えています。

ただ、悔しいとか残念という感情ではなく、どちらかといえば、初出場を決めるピッチに自分がいるチャンスができたという、小さな希望の芽が生まれたことへの喜びのほうが大きかったかもしれません。その4年後はサッカーへの夢を終わらせていたわけですが。

むしろ、ジョホールバルの悲劇があったからこそ、そこからの4年間は濃かったような気がします。あのときW杯が決まっていたら、日本代表を遠い存在と考えてしまったかもしれません。いや、実際に遠い存在なのですが、まだまだ世界には上がいるというのは、間違いなく希望でした。


日本のトップではなく、世界のトップを目指せば自ずと日本のトップになれる。それに見合うだけのスキルもフィジカルも持っていませんでしたが、目標を高く持つというのはそのときに学んだことのひとつ。それはマラソンを始めてからも活かされました。

マラソンを始めるときに、まず意識したのが世界記録です。1kmを3分で走り続けたら世界のトップに立てる。だから、私の視線は常にそこを向いていました。そのペースで走れるかどうかは別問題で、あくまでも目指すべきところという位置づけです。

手が届かないような目標はモチベーションを下げさせると言う人がいますが、与えられた目標なら確かにそうです。でも、自分で決めた目標なら話は変わってきます。自分でやると決めたなら、そこに向けてやるべきことを積み重ねるだけ。

目標を高く持てば、少なくとも自分のポテンシャルを最大限に引き出せます。そして、やるべきことが明確になります。トップレベルの選手がどのようなトレーニングをして、どのような食事をするのか。その頭の中がどうなっているかなど、学ぶことが無数にあります。

ライティングの仕事も同じで、ただこの世界で「トップ」というのは難しいもの。ただ、好きな作家さんの小説やエッセイなどを手に取るたびに、自分との実力差に打ちのめされながらも「このレベルまで到達する」という、目指すべき灯火にしています。

自分に特別な才能がないことは理解しています。何をやっても平均のやや上くらいの結果しか出せません。ただ、それは才能が足りないというよりは、「絶対に到達する」という執着心が足りていないのだと、この歳になってわかるようになってきました。


淡々と積み重ねれば人は成長します。継続すれば必ず平均よりも上まで辿り着けます。ほとんどの人がそこまでやらないから。でも、それでは向こう側に行くことはできません。目標とするもの以外、すべて手放すくらいの強い気持ちがある人だけがそこに辿り着けます。

私に足りなかったのはそれ。サッカーで食べていくなら、アルバイトなんてしている場合でもなかったし、特待生という立場すら捨てるべきでした。でも、私にはそれができませんでした。ただ、それが私だと考えることもできます。ひとつのことだけに執着できなかったから、今の自分があります。

もうW杯という目標に向かってボールを蹴るようなことはありませんが、かつてのその経験は今の自分に活かされています。私という物語はまだ何も終わっていません。失敗も成功もすべてが経験であり、未来への糧にしていけばいい。

著:オウェイン・サービス, 著:ローリー・ギャラガー, 翻訳:国枝成美
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