トレーニング:誰かの役に立つために成長し続ける

ライティングの仕事をしていると、知らない分野についての記事を依頼されることがよくあります。むしろ依頼される記事のほとんどが、知らないことなので、下調べから始めることになります。調べるといってもインターネットで調べるだけなのですが、これが思いのほか大変な作業になります。

たとえば何かのサービスについて調べなくてはいけないときに、正しい情報源がパンフレットしかなかったとします。まずそのパンフレットを読み込むわけですが、ライティングを依頼されるような案件は、何が書かれているかほとんど理解できません。

ほぼ謎解きゲームをやっているような状態なので、わからないところをひとつずつ調べていきます。それはもう地道な作業で、ただ私は地道な作業やわからないことを理解していくという作業が好きなので、粘り強く続けるわけです。そうすると、ある程度のところで、視界が一気に開けます。


まだ見えていない部分があっても、少し調べれば理解できるので、そこからはもうライティングに入っても問題なくなります。この理解するまでの地道な作業をどれだけやっているかで、洞察力が変わってくるのだと思っています。仕事をしながら、トレーニングをしているわけです。

アルバイトも体がボロボロになるまで働いているので、そちらもトレーニングになっています。まともな練習をほとんどしていないのに、日々の仕事がトレーニングになっているので、体は衰えるどころか鍛え上げられていきます。走る距離が減っているので筋肉もつきやすくなっているのでしょう。

そう考えると人生そのものがトレーニングだということがわかります。何のためのトレーニングなのかわかりませんが、多くのことを経験することで成長し、それによりさらに新しい経験ができます。多くの経験を積むことで、賢くもなり、強くもなります。

だから好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか関係なく、目の前にあるやるべきことから逃げ出さず淡々とこなしていく。そうすれば道は勝手に開けると信じています。少なくともこれまでそうやってきましたし、これからもそのスタンスは変わりません。

逃げ出すのは簡単です。私も理不尽な思いを強いられる場所や人からは逃げ出します。争っても意味がありませんし、そこで潰れてしまっては未来も何もありません。でも、難易度が高いから逃げ出すことはしません。むしろ高い壁ほど挑みたくなります。

その壁を越えたとき、これまでと違う景色が広がっていることを知っているので。ただ、私は記憶力がとても弱いので、壁を越えた瞬間に、そこに壁があったことすら忘れてしまいます。前しか見えていないので、次の壁を探すわけです。


それは私にとっての業のようなもので、終わりなどどこにもないのでしょう。次の壁を越えるために、目の前の壁を越える。きっと最期の瞬間まで壁に挑み続けているはずです。それがいつなのかはわかりませんが、私にとって人生そのものがトレーニングの場。

学び続け、鍛え続ける。それって辛くない?と思うかもしれませんが、私はそれを楽しく感じるのでストレスになることはありません。疲れたらひと休みすればいいだけなので。私の人生は私のもので、誰かに強制されて生きているわけでありませんので。

ただ、成長したなら、その能力を使って誰かを助けられたらいいなという想いはあります。いざというときに、大切な人を助けられる存在になっているために日々トレーニングを積み重ねる。それは私にとってのモチベーションになっているこたは間違いありません。

著:鈴木規夫
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