桜:決まっていた未来

弘前の桜をひと目でいいから見てみたいということで、盛岡の友人と花見をするために盛岡に行った流れで、弘前まで移動する予定でした。でも今年の桜前線は遅々として進まず、開花予報が大幅に遅れるとのこと。弘前はおろか、盛岡すら明日には咲くか咲かないかととのこと。

戻りは弘前からバスのつもりでしたが、予定を変えて仙台に向かうことにしました。義経が見たであろう、平泉の桜を見てから戻ろうかなと。平泉には1回しか行ったことがないのですが、そのときにとても素敵な場所だと感じたのもあります。

移住したいと思うほど素敵な場所だったのに、しばらく訪れていなかったのは縁がなかったから。でも、今回、弘前の桜が咲いていないということが縁であり、平泉に行くことが最初から決まっていた未来のように思えます。こういうときは必ず何かが起こります。


そして今年は弘前の桜を見れないということは、いずれ弘前を訪れるということ。また来年も東北の桜を見るために、旅をすることになるかもしれませんし、もっと時間が経ってから訪れることになるかもしれません。いずれにしても、それも縁なわけです。

どのマラソン大会を走るか、どこに旅をするかはすべて縁だと思っています。全国に300以上のマラソン大会が毎週末に行われていて、その中からひとつを選ぶわけです。選ぶというよりも巡り合うと表現したほうが適しているかもしれません。

いま思えばもっと記録を出しやすい大会も走っておけばよかったのですが、競技としてのマラソンをやめた今となっては後の祭り。ただ、ここからは自由度が格段に上がります。もうフルマラソンにこだわる必要もなく、走りたい大会を走ればいい。

ただ、大会を知らないことには検討することもできません。そして、ある程度鍛えておかないと、楽しいはずのマラソンが苦痛になってしまいます。だからいつでもフルマラソンを走れる自分であり続けるために、日々のトレーニングや情報収集は欠かせません。

フルマラソンを走り切るだけなら、月間走行距離は150kmあれば十分なので、毎日5km走っていればそれでOK。でも、タイムにこだわらないとはいっても、目標もなく淡々とはしれるほとも達観しておらず、必ず何かを得て帰るためにも、程々に走り込む必要はあります。

面白いもので、パーソナルトレーニングをしているのもあって、本気で走ることをやめてからも、新しい気付きが次々とやってきます。だからまだここから速くなるという確信はあります。でも、速くなることと速く走ることは違います。


長く続く体調不良からも分かるように、体を極限まで追い込もうとすると、体の機能の大切な何かが損なわれる年齢になっています。だから、体を作り込んで速くなることを目指すのではなく、自然体で速く走れるようになることを目指しています。

それもひとつの縁のようなもの。探究者であり続け、いつも何かに挑戦し続ける。それが私の生き道であり、結果を出すよりも大切なこと。自己満足でしかありませんが、自己満足よりも大切なことなんてほとんどありません。だから、これからも縁を大切にしながら追い求める。

弘前の桜を見れないのは残念ですが、桜はちゃんと1年に1回咲いてくれます。きっと機が熟したら、そこに導かれるはず。そのためにもまずは目の前にあることをひとつずつ、ベストを尽くしながらこなしていきます。

編集:Rashisa出版(編)
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