
桜前線に向かう感じで東北を旅してきました。本来なら盛岡から弘前まで、桜前線に乗って向かうはずだったのですが、満開予想に従って旅の計画を立てたら、盛岡に到着する前日になってようやく開花。弘前の開花はもっと先になるということで、直前で方向転換しました。
盛岡で咲きはじめた桜を見てから平泉へ。平泉に桜の名所があるかどうか調べていませんでしたが、歴史を考えれば桜の木がないなんてことは考えられません。桜が似合う地域というイメージだけで向かいましたが、想像どおり、いや想像以上でした。


東北本線の車窓から桜並木が見えたときには、胸が締め付けられるような感覚があったのですが、以前訪れたときにも同じように胸が苦しくなったのを思い出しました。そのときは、前世が源義経に関係しているのではないかと思ったのですが、どちらかというと藤原氏側なのではないかと。
自害となったことへの無念というよりは、義経を守りきれなかった無念に近い感覚での胸の苦しさ。そして、藤原氏側の人間だったとすれば、平泉をはじめとした東北地域を本能的に好きになるのもわかります。残念ながら、それを証明することはできないのですが。



いずれにしても、春の平泉は美しい桜で覆われていて、どこを切り取っても絵になります。以前、平泉を訪れたときに「ここで暮らしたい」と思ったのですが、その気持ちはさらに強いものとなりました。むしろ、確信に近いような感覚すらあります。
あちこちに咲く桜を見ながら、「60歳になったら、ここで宿をやりたいな」なんて思ったり。1日1組だけの小さな宿で、世界中のお客さんを迎え入れる。そして、美しい風景のある場所を案内する。ランイベントなんかもやってみたい。そんな妄想がどんどん広がっていきます。
平泉を満喫したあとは仙台に移動。仙台からは夜行バスで新宿に移動するのですが、出発時刻が23時50分とかなり余裕があるので、仙台では夜桜を楽しむことに。さすがに、行き当たりばったりで夜桜は見れないだろうということで、下調べして仙台駅から西公園へ移動。
屋台の出ている夜桜というのは人生初かもしれません。ライトアップされた桜の美しさと、会場内の盛り上がり。完全に出来上がっているグループもあって、同じ花見でも平泉と仙台でまったく違ったものになっているのかどことなく面白くなり、意味もなく屋台でモツ鍋を注文。


それでもまだ時間があったので、青葉城の伊達政宗像まで散策。今回の旅でまったく想定していなかった展開でしたが、ちゃんと正宗像の後ろには桜が咲いていました。桜前線が停滞していると聞いたときにどうなることかと心配しましたが、なんやかんやで桜を満喫した2日間でした。
今回の旅を通じて感じたのは、東北では「桜」が大切にされているということです。関東でも桜は咲きますし、花見をすることも珍しくありませんが、桜に対する思い入れが東北とは違うように感じます。関東では「当たり前にあるもの」で、東北では「待ち焦がれたもの」。


東北の桜は遅くに咲くから、待たされる感もあるのでしょうが、長い冬が終わって短い春がやってくるのを毎年心待ちにしている。その象徴が桜なのでしょう。だから、どこに行ってもあちこちに桜の木が植えられています。
弘前の桜を見れなかったのは残念ですが、今回見れなかったからこそ、未来への期待が生まれます。弘前で桜を見る日を待ち焦がれる。それは不幸なことではなく、むしろ幸せの種のようなもの。また東北に行く理由ができたことで、私はきっとこれまで以上に東北を意識することになるのでしょう。