未熟:タイムが縮まることと成長することは必ずしも一致しない

今でこそフルマラソンやそれ以上の距離を当たり前のように走っていますが、幼少期の私は線も細くて、喘息持ちということもあって年に数回は学校を休んでいました。スイミングと少年野球のおかげで、体を動かすのは好きになりましたが、スポーツが得意なわけではありませんでした。

少年野球でも中高の部活でも、レギュラーになることはなく、高校時代はベンチにも入れないレベルの選手。ちょうどJリーグが発足したばかりのタイミングで、小柄なプロ選手の身長と体重をチェックして、「あと10kgは必要なのか」と絶望した記憶があります。

大学時代にはそれなりの体になりましたが、それでも小柄であることは変わらず、大きな体を持った選手を見ると、少しだけ羨ましく感じたものです。ただ、当時のサッカーはフィジカルがなくても頭脳で対抗できたので、自分なりに楽しくボールを蹴っていました。


ランニングを始めるようになってからは、小柄であることがそれほどマイナス要因にならないこともあって、体の弱さを感じることもなかったのですが、ここにきて過去の無理がすべて皺寄せになっているようで、笑うしかないくらいボロボロになっているのを実感しています。

ただ、人間の体である以上は、整えさえすれば元に戻ることはわかっています。無理の皺寄せもありますが、整えることをやってこなかったというのも体調不良の原因のひとつでもあります。走ったあとのケアなどほとんどしてきませんでしたので。

過度なランニングは体に悪い。知識としては知っていましたが、それを実感しているところです。だから日々のトレーニングは5kmまでにしています。ただ、それでは走力を向上させられないどころか、現状維持もできません。だから、筋トレも組み合わせています。

私が走り続けている理由のはひとつは健康のためなのですが、幼少期のような体に戻りたくないという意識がどこかにあるのだと思います。好きな時に好きなことをできる。そんな当たり前の生活を失いたくないから、体を鍛え続けています。

ただ、それとは別に自分の体に対する探究心も走り続ける原動力になっています。どこまで鍛えられるのか、技術力と頭脳で速くなれるのかなど、疑問に思うことはいくつもあって、新しい情報を仕入れると試さずにはいられなくなります。

愛媛マラソンではサブ3を狙いましたが、実はタイムにはそれほどこだわりはありません。たとえば「このシューズを履けばサブ3できる」とアドバイスされたとしても、それを履いてまでサブ3を達成したいとは思いません。大事なのは昨日の自分よりも成長していること。


成長していないのにタイムだけ縮んだところで、私にとっては何の意味もありません。むしろそれを望むのは「未熟」であり、そうならないように意識しています。タイムは成長を計るのにわかりやすい目安ですが、それが全てではありません。

愛媛マラソンが終わってからのレースでは、かいだんや5kmなどの短い距離しか走っていませんが、愛媛マラソン直後の大阪での階段レースを除き、かなり満足度の高いレースができています。でもタイムはいずれもいまいち。結局のところ、満足度とタイムは関係ないわけです。

もちろん「私にとっては」の話です。大切なのはベストを尽くすことであり、それができれば満足できます。ただ、ベストを尽くすためにしっかり準備することが大前提です。準備もせずにレース当日だけ頑張っても、そこに成長はありませんから。

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