
毎日1つ手放す生活をしていますが、そろそろ本格的に手放すものがなくなってきました。あと190近く手放すことになりますが、すでに「大切に取っておいたもの」まで、手放しつつあります。それをもらってくれる人がいることが唯一の救いです。
その過程で、自分自身の変わったこだわりに気づきました。私は欲しいと言ってくれる人なら誰にでも譲れると思っていたのですが、ある方に「お互いの住所がわからない方法で」と提案されたときに、この人には譲れないという感情が芽生えました。
勘違いしないでもらいたいのですが、その方が悪いとか言っているのではありません。むしろ、そういう感覚になるのが普通なのでしょう。個人情報を晒すなんて、できるだけ避けるべきことというのが、賢いインターネットとの付き合い方です。
では私は何が嫌だったのか。面白いテーマなので、自分なりに整理してみるとしましょう。まず、私自身の個人情報が知られることにはまったく不安はありません。あちこちでオープンにしていますし、私に関するリンクを辿っていけば公開している住所も見つけられます。
では、相手が住所を知られたくないと考えたことが嫌だったのか。そこは否定できません。別に相手の住所や電話番号などを知りたいわけではありません。ただ、「あなたには私の個人情報を渡したくありません」と拒絶されたように感じたのでしょう。
拒絶されるということは、信頼されてないということを意味します。「あなたのことは信頼してないけど、あなたが手放したものが欲しい」と言われているように感じたのでしょう。それはそれでまだ許容範囲ではあるように思えます。考え方は人それぞれですから。
私が嫌ったのは、そのような人のために時間をかけて梱包するなどの作業をするということなのかもしれません。梱包作業はダンボールや封筒などを買いに行くための時間、宛先ラベルを作る時間、発送しに行く時間がかかります。親しい人になら、それくらい惜しみません。
でも、そうでないどころか、信頼もされてない人に対して、自分の時間をかけたくなかったのかも知らません。やるべきことを抱えていて、やれてないこともたくさんある。毎日1分1秒も無駄にできない中で、それをする余裕がなかったわけです。
今の私は相当余裕がなくなっているようです。万里の長城マラソン前というのもあります。ライティングもパーソナルトレーニングも、RUNNING STREET 365の情報発信もあって、生活のためにアルバイトもしている。ほぼ破綻しているわけです。
ただ、ここが踏ん張りどころ。幸い、床で寝るようになってから、体の不調はかなり抜けてきました。北京から帰ってきたら、マットレスを捨ててしまおうと思うくらい、床での睡眠は快適です。しかも手放すものを1つ増やせますし、部屋の掃除もしやすくなります。
ここを乗り切れば間違いなく、もっと余裕のある暮らしができるようになります。とはいえ、そのときにまた匿名で譲って欲しいと言われたら断るような気がします。1度そういうルールで動いてしまったというのと、やっぱり信頼関係というのは私にとって最も大切なところなので。
すべての人に信頼されたいわけではありませんが、信頼してくれていない人のために使う時間はありません。自分が信頼するにあたる人間なのかどうかはわかりませんが、少なくとも1ミリでも疑われてるなら、その人と関わる必要はありませんから。
