
マラソンシーズンが終わったというのに、立て続けに取材やら打ち合わせのスケジュールが入って、活気というかメーカーのやる気や予算だけはコロナ禍前に戻った感じがあります。水戸黄門漫遊マラソンも早々に定員が埋まるなど、ランナー側もようやくパンデミックの呪縛から解き放たれた感じがあります。
これで安心と言える状態にはまだ遠いものの、このまま上昇カーブを描いていけば、新しいマラソンブームが生まれる可能性があります。ただ、その過程で淘汰される大会も出てきます。ランナー人口に対してマラソン大会の数が多すぎるのと、とにかくマラソン大会にはお金がかかります。
スポンサーと自治体が穴埋めをしている構図が変わらない限り、撤退するしかない大会も増えるのは明らかです。とはいえ、マラソン大会の費用をすべて参加者に負担してもらうのも現実的ではありません。参加費は3万円を超えますし、そうなると参加者も減っていきます。
理想を掲げるなら、参加費2万円で開催できる大会を開くということです。仮に5,000人の参加者を見込むとして、予算は1億円になります。この1億円を使ってできる大会を開催すべきなのですが、エイドも参加賞も寂しいことになるのは間違いありません。
1億円の予算で開催できないというよりは、1億円の予算で開催する5000人規模のマラソン大会は、参加者にとって魅力的とは言えないものにしかならないというわけです。「2万円も払ってこの程度?」となったら、その先にどんな未来が待っているかは容易に想像できます。
マラソン大会というのは、とても経営が難しいイベントになります。ある意味で成立していない、もしくは破綻しやすい構造になっていて、実際にその綻びがすでに見え始めています。継続できるかどうかは、自治体にどれだけ資金力があるかで決まると言っても過言ではありません。

ただし、マラソン大会がなくなるとメーカーも困ります。特に日本市場は世界的にも無視できないものがあり、メーカーによっては為替レートによる値上がりを最小限に抑えるために、無理した価格設定にしているケースもあります。ただ、それもそろそろ限界です。
体力のない小さなメーカーは、製造コストアップや為替レートを考慮した価格設定にしており、レーシングシューズは3万円台が当たり前となりつつあります。それでは売れないのはわかっているけど、それよりも安くすると売る意味がなくなる。
自治体もメーカーも体力がものをいうわけです。たとえば資金力豊富なアディダスは、機能性はともかく1万円を切るようなランニングシューズを出しています。世界中の多くのランナーがそれを必要としており、それをマラソンの未来に繋げようとしているのでしょう。
目先の利益ではなく、10年後20年後を見据えて計画を立てる。これが大手ならではの強み。それは個人でも同じで、ゆとりのある生活を送れている人ほど、未来を見据えて投資できます。私のようなその日暮らしに近い人間は、今日のこと、明日のことしか考えられません。
そういう意味ではお金というのはとても大切です。お金があれば将来を見据えて行動ができますし、何よりも選択肢が増えます。大きい葛篭と小さい葛篭、どちらも選べる。どちらが正解かはわかりませんが、お金がなければ最初からハズレしか選べないこともあります。
ただ、ハズレが必ずしも良くないかというとそうでもなく、ハズレを引いたから経験できることもあります。結局大事なのは、自分のやりたいように生きるということ。そして裏が出ようと表が出ようと、その状況を楽しめばいい。思い通りにいかないことも含めて人生ですから。