朝帰り:五十にして惑わず

健康優良おじさんを目指している私は、毎日22時半に寝て、4時半に起床する生活を送っています。物流のアルバイトがある日だけは22時まで残業しているので、就寝時間は0時をまわってしまいますが、基本的に遅い時間まで起きていることはありません。

ただ、一昨日はこのブログでも何度か登場しているラン仲間のナベくんの誕生祝のために、物流のアルバイトを終えてから新宿へ。いつもなら早い時間に行って、終電間際に帰るというスタイルをとっていましたが、今回は珍しく「朝まででいいか」と。

体力的に、もう徹夜なんてできないと思っていたのですが、結果的にはそれなりに起きていられることがわかりました。これなら、今年の24時間裸足チャレンジはなんとか眠らずに乗り切れそうな気がします。寝てしまってもまったく問題ないのですが。


もっとも、朝帰りしたあとは爆睡。8時から14時まで寝ていたので、睡眠時間はきちんと確保。そして、起きたらアルバイトのせいであちこち筋肉痛。やっぱり若くはないのだという現実を実感することに。でも、たまにはこういうのもありかなと。

早寝早起きを基本としていますが、早寝早起きをしたいわけではなく、私にとっては最も効率的に毎日を過ごせるからそうしているだけです。朝のうちに毎日やるべき作業の大半を済ませておくことで、その後の時間のやりくりがしやすくなります。

だから、基本的には1人で旅をするときも、このルーティンを守ります。でもそれは、「1人」だからであり、他の人がいれば話は変わります。決めたことに固執できる人には憧れますが、私はそのタイプではなく、臨機応変に変化するタイプだと腹を括ってからは、「絶対にこうする」ということはなくなりました。

基本的に芯になるものを持たないようにはしています。「こうしなくては」という思考は、自分を小さな世界に閉じ込めてしまいます。私は何かに拘束されるのが好きではないというのもあって、自ら縛りを設けることも基本的にはありません。

何らかの縛りを設定するときは、「そうしたほうが面白い」ときだけ。24時間公園をグルグル走るのを裸足でするのは、それが面白いと思っているから。誰もやっていないことをやったほうがいいじゃないですか。おかしな人という印象も持ってもらえますし。

結局のところ、やりたいことをやりたいようにしているだけ。ただ、それがとっ散らからないように、基本的な部分はルーティン化しています。あっちこっちに飛んでしまっても、ルーティンがあれば、いつもの自分に戻ることができます。


今回は久しぶりの朝帰りでしたが(前回の朝帰りがいつだったか記憶にない)、こういうことをやってみたのも、また早寝早起きで朝から仕事をするルーティンに戻れば、生活そのものが乱れない確信があるから。ルーティンがなかったころは、乱れるのが嫌で無茶をするのを避けていましたが、今は随分と自由になった気がします。

私自身には芯はないけど、戻るべき確かな軸があるから何にでもなれるし何でもできる。もっと若いうちにそれができるようになっていればよかったのですが、そうでない時代があったからこそ今の自分がいると思うと、言っても仕方ないことですが。

「四十にして惑わず」は孔子の言葉ですが、きっと今の時代は「五十にして惑わず」なのかもしれません。そうなると天命を知るにはまだ10年もある計算になります。60歳になって天命を知って何ができるのかはわかりませんが、それこそ考えても仕方ないことなので、今は惑うことなく自由に生きるとします。

著:五木寛之
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