
関東学生対校選手権で選手の誘導ミスがありました。ここ最近、大きなレースでの誘導ミスが相次いでいますが、個人的には「人間がやっていることだからあり得る」ものだと考えています。あってもいいというわけでなく、100%防ぐことはできないという意味です。
サッカーではVARが導入され、審判の判定が覆ることが多々あるのですが、それこそまさに人間の限界を示しています。人間はどうしてもミスをするし、失敗する生き物です。ところが社会において、ミスや失敗はほぼ許されることはありません。
上司に強く叱責された経験のある人もいるかと思います。学生時代までは、失敗もある程度まで許されます。いや、むしろ失敗の繰り返しです。ミスや失敗をしないというのは、定期テストで100点しか許されないのと同じこと。ところがオール100点の人間など、1%もいないのが現実。
万里の長城マラソンでも過去に何度か誘導ミスをしたことがあります。距離が短かったということもあります。かつて、きちんと警告できないのは「当たり前」のようにありました。そういう経験により、人間は失敗するものだという認識に変わりました。
かつての私は「完璧にやりたい」気持ちが強く、それができていない自分にがっかりしたこともあります。でも、他人のミスを許容できるようになってから、随分と楽になった気がします。完璧は目指しますが、結果がそうなるとは限らないと学びました。
上手くやれない誰かを批判することが、自分自身を縛ることになる。誰かを許せるようになると、自分自身も許せるようになる。この10年くらいで、そのことを学びました。もっとも、「許す」という考えがそもそも傲慢なのですが、それを理解したのは最近のことです。

SNSなどで運営に対して批判的なことを投稿している人たちに対しては、正直なところ「すごいな」という思いしかありません。自分を束縛する鎖になることもわかった上で「自分が言わなきゃいけない」という正義感のようなものがあるということなのでしょう。
確かに誰かが批判しないと、改善されないことは世の中には無数にあります。でも、あえて自分がその役割を果たす必要がないと考えてしまうものなのに、あえて批判して改善を促す。それは誰にでもできることではなく、少なくとも私にはできません。
私はどこにも敵を作りたくないタイプなので。北海道では散々敵を作りましたが、そうなるからこそ、普段は敵を作らずにいたいわけです。だから後輩を育てるとかいうのがとても苦手なのですが、こういうときに「言わなくては」となれる人は、きっと私と真逆。
人間はミスをするもの。まずはこの視点が必要です。だから、考えられるあらゆるミスに備えて計画を立てる。私が万里の長城マラソンでやっていたのはこれで、リピーターさんに集まってもらい、他にない部分もディスカッションしたこともあります。
でも、そこまでやってもミスによるトラブルは起きてしまいます。だから、私は「臨機応変に対応する」を選ぶことにしています。ただ、それが絶対的な正解ではありません。あくまでも万里の長城マラソンにおいて、現時点での私の答えがそうだというだけ。
とりあえず、担当者もしくは責任者が必要以上に気落ちしないように願いたいところです。多くの人に迷惑かけたかもしれませんが、人間だから起こることなのです。今やれることは、同じことが起きないように議論すること。このケースで誰かを責めたところで、担当する人が減っていくだけです。
