
毎月のように遠方へ出かけており、その計画を立てるだけでも、それなりの時間を使っています。私の性格のせいもあるのですが、工夫をせずに旅の移動方法を決めることができないことが影響しています。たとえば大阪に行くにしても、素直に新幹線を選べません。
普通に考えれば新幹線に乗っておけばいいんです。時は金なりと言いますように、数時間で移動できれば、作業したり休んだりする時間を確保できるわけです。ただ、私の場合には移動時間=作業時間なので、時間がかかることに対して何の問題もありません。
安く移動したいという気持ちもありますが、旅の移動だけは「工夫しない」「調べない」自分を受け入れたくないということもあります。当たり前のように新幹線を選ぶ自分にはなりたくないという気持ちが働き、必要以上に調べてしまいます。
それだけ時間をかけて調べても、結局新幹線に乗ることもあります。大事なのは腑に落ちるかどうか。あらゆるルートや手段を考えていると「これだ」と感じるものに出会います。それは機械設計で最適なレイアウトを見つけたときの感覚に似ています。
悩みに悩みんでいるときに、まさに光が差すかのように答えが浮かび上がります。きっと私はその瞬間が好きなのでしょう。安くいけるとか、ダイパがいいとかそういうことはどうでもよくて、ただ気持ちよくなりたくて、あれこれ悩むわけです。
なぜそんな面倒なことをするのか。その答えは簡単です。人生を楽しみたいから。刹那的であっても幸せを感じたいから。それだけのことです。幸せとか喜びというのは思った以上に身近なところにある。最近そう思うことが増えてきたところ、あちこちオードリーで同じようなことが語られていました。

きっと、時代の流れがそちら側に向かっているのでしょう。これだけ有名人が叩かれる時代ですから、有名になることに何のメリットもありません。出世したところで、わずかな収入増でストレスが増えるだけ。もう向上心が万能ではない時代に入っているわけです。
夢を掴もうともがく人もいて、夢なんて見ない人もいる。その共存が許される時代でもあります。それはある意味で「他人に対する無関心」なわけですが、私はそれでいいと思っています。基本は個であり、ときどき本当に信頼できる人たちと過ごせれば、それが豊かなんだと私は思うわけです。
ただ、豊かさや幸せになるには、自分の中でこだわらなくてはいけない必要になります。自分の言動に満足するためには、少なくとも自分が納得する成果物(創作物)を出さなくてはいけません。私にとってのそのひとつが安旅の計画なわけです。
繰り返しますが安くいけることにそれほど重みを置いているわけではありません。きちんと自分で情報収集し、自分で考えて答えを出したい。きっとそれは効率の悪いやり方なのだと思います。ChatGPTにでも考えてもらったほうが効率的かつ正確な答えを導き出せます。
ただ私は、それに対して「だからどうした」と思うわけです。「攻略本のある人生って面白いですか?」と問いたくなるわけです。いつも言っていることですが、うまくいかないことも含めて経験であり、経験を積むことこそが人生だと私は考えています。
正しい道を選ぶことが必ずしも正解ではない。少なくとも私にとって正解は、未知に対して経験を積むということ。だから、これまでやったことのないことに挑戦し経験を積める道を選びます。それが他人に理解されなくても、自己満足だと笑われても。