健康体:体と対話してトレーニングメニューを決める

今週は4日ほどアルバイトに行ってきました。アルバイトはAmazonとホームセンターの物流だけに絞っていて、8月まではこの2つで回していくことになりそうです。ここまでいろいろな職場に行きましたが、固定化することで生活が安定してきた気がします。

会社員時代は毎日同じ職場に通っていたわけですが、いま思えばあらゆることが安定している状態だったのでしょう。ただ、私にとってそれは心地いいものではありません。環境を変え続けることが私のスタイルであり、同じ場所に居続けることを苦手としています。

それは退屈であることが最大の理由で、安定した状況に耐えられなくなります。毎日ワクワクしたいじゃないですか。1度しかない人生なのだから、常に楽しく生きていたい。そのために私が選んだのが変化です。私にとっては変化とはすぐ隣にいてくれる友人のようなもの。


人によっては変化しないことで、楽しさを得るという選択をします。それはそれでいいと私は思います。幸福感でいえば、何も変わらない、刺激も何もない、そういう環境を作るのが理想です。心の波をできるだけなくすことこそ、幸せへの近道だと50年の人生で学びました。

それでも変化を選ぶのは、幸せとか豊かさとか、私にとってはどうでもいいことだから。私はただ生きていたい。生きるために変化を求め、生きるために新しい挑戦をする。それをやめるときは、私のすべてが終わるときです。惰性で生きられるほど私は強くありませんから。

もっとも体が動いていれば何とでもなるという、楽観的な思考も持ち合わせています。体さえ動いていれば仕事はいくらでもあります。体が動いていればやりたいことの大抵はできます。ただ、健康は何もせずに手に入るものではありません。

健康を維持するためにコツコツ走る。健康を維持するために筋トレをする。これまではずっとそうやってきたのですが、物流の仕事をしていると、働いているだけでトレーニングになっていて、それ以上はむしろオーバートレーニングになっているのかもと思い始めたのが最近。

以前から薄々気づいてはいましたが、少し前までは「すべては愛媛マラソンのために」と思ってやっていたので、しっかり走って、しっかり働いてというスタイルを続けてきました。でも、結果的にはコンディションを悪化させて愛媛マラソンは酷い結果に。

あのとき、すでにオーバートレーニングであり、体はボロボロになっていたのでしょう。少し落ち着いた今ならわかります。8時間の立ち仕事は1時間のランニングよりも負荷の高いトレーニングであり、そこにランニングに加えるのは無謀なことです。


月間走行距離が600kmを超えるまでは、走れば走るほどタイムが縮まる。これはひとつの事実ですが、月間600km走れるかどうかは、その人の生活や働き方によって異なります。肉体労働をしている人が、月間600kmも走れば体は間違いなく壊れます。

そもそもランニングが広まったのは、先進国でデスクワーク中心の生活になり、運動不足の解消が社会課題になったからという一面もあります。だから本来は、運動不足でない人まで走る必要はないわけです。物流や農業など体が資本の仕事をするなら、運動は必要ないわけです。

だからといって、走るのをやめるつもりはありませんが、もう少し体との対話をしっかり行なって、無理のない範囲で走らなくてはとようやく気づきました。帰宅ランを必須にするのではなく、その日のコンディションで決める。走らないことに罪悪感を持たない。そういうところから始めるとしましょう。

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