AI:正解することだけが正しい時代でいいのか

SNSを見ていると、ChatGPTなどの話題が多くなってきて、ブレイクスルーした感じがあります。もうAIのない時代には戻れないでしょうし、私自身もChatGPTに課金しており、仕事をする上ではなくてはならない存在になっています。

ただ、私の場合は使いこなしているという感じではありません。AIを使いこなせている人は、AIを優秀な部下のように働かせており、より高い効果を得るための工夫をしています。私の使い方は、あくまでもサポートしてもらう程度であり、AIがメインで働くことはありません。

おそらく私のやり方はオールドタイプで、AIをを部下にできるのがニュータイプ。これからはもちろんニュータイプが主流になり、AIはかつてのWordや Excelのように、ビジネスにおいて、使えないとお話にならないスキルのひとつになるはずです。


最近では若い子が「AIに相談している」という声もちらほら聞きます。そこまでくると、私には理解が追いつかない領域になります。そもそも私は、困った時などに誰かに相談するということがありません。トラブルは基本的にすべて自分で解決するタイプ。

周りの人を巻き込むのが苦手というのもありますが、自分で解決するのが楽しいというのもあります。答えが見つからないような難問でも、諦めることなく考え続け、そしてひとつの答えに辿り着く。それが面白くて仕方ないから、悩みを誰かと共有するのはもったいなく感じます。

勘違いしないで欲しいのですが、私がそれを他の人に求めるということはありません。あくまでも「私」の場合、AIだけでなく、他人に周りの人に相談するということをしないというだけ。そして、仕事でわからないことがあるようなケースでは、躊躇なく周りに聞きます。

簡単に相談できる環境があるというのは、おそらくほとんどの人にとって「いいこと」なのでしょう。自分で判断できないこと、自分では解決できないことを相談し、的確な答えを提示してくれる。それも何度でも。解決できなかったら、嫌な顔せず別の提案もしてくれます。

ただ、それは「正解することが正しい」という考えが前提となります。こう書くと、お前は何を言っているのだと非難されそうですが、私は正解することが正しいとは思っていない人間です。選択肢を間違っても、失敗しても、それは経験であり、糧になります。

だからこそ、AIに相談することが定着した未来に、世の中がどんなことになっているのか、とても興味があります。失敗が許されない時代。正しさだけが求められる時代。でも人間はロボットではありません。ミスもすれば過ちを犯すことだってあります。


そういうミスや過ちに対する許容が、社会全体で薄れていくというのが私の推測。実際にすでに、ミスや過ちに対して、徹底して叩くという風潮が出来上がりつつあります。そして失敗が許されないから、チャレンジしなくなる。1歩を踏み出さなければ傷つくこともありませんから。

でも、傷つかないように生きてきたら、傷ついた人の痛みがわからなくなります。だから、平気な顔をして他人を傷つける。因果応報。すべての理は繋がっていて、日本に漂っている閉塞感とAIはまったく無関係というわけではありません(閉塞感がAIを広めたとも考えられますが)。

AIとどう付き合っていくのか。おそらく、これからAIに関わる犯罪や社会課題が増え、次のステップはそのような議論がされるはず。私の答えは明白です。「AIは道具であり、主体は私」というのが私のスタンス。ただ、10年後にはそれすら古い考えみたいになるんでしょうね。

著:今井 翔太
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