
トレランの練習会で参加者が行方不明になるという事故が起きたそうです。Xのフォロワーさんたちの間で話題になっていたので、少しだけ内容を確認しましたが、この件についての私の感想などは差し控えます。ただ、自己責任ってなんだろうなと思ったので、その観点で頭の中を整理します。
今回の事故について、ものすごく掻い摘んで説明すると、トレランの有料練習会で、グループから遅れてしまった参加者がルートを外れ、そこから合流できないまま行方不明になってしまったということです。伝聞ですので、どこまで事実か判断もできないので、あくまでもそういうことがあったということ。
最近は開催していませんが、私も万里の長城マラソンの練習会や依頼があって大山往復のトレランを実施することもあります。だから他人事ではありません。少人数で全員が視界に入る状況を作りながらなので、今のところトラブルは起きていませんが。
でも、前方のランナーが勝手に先に進んでしまい、そのまま行方不明にならないとは限りません。目を離したすきに参加者が滑落して、はぐれてしまう可能性もあります。そういうとき、誰の責任かというと、ほとんどのケースで「私に責任がある」と考えます。
それは責任感があるからという話ではなく、あくまでも私がそういうタイプだというだけのことで、たとえば「練習会でのトラブルは自己責任」とする人がいても、私はそれを否定するつもりはありません。特に複数人で山に入る場合、自分1人だけですべての参加者の安全を確保するのは困難です。
過去に1泊2日で走る(ウォーキング部門もあり)イベントのお手伝いをしたことがあります。そのイベントでは、夜に参加者がお酒を飲んでトークショーなどを楽しめるようになっていたのですが、私が驚いたのは最終の参加者が戻ってきてないのに、主催者の主要メンバーがお酒を飲んでいたということでした。

最終の参加者にスイーパーがついているわけでもなく、現在どこにいるのかもわからない状況。私の感覚からするとありえないことなのですが、おそらくそのイベントでは、それが普通だったのでしょう。私はそのスタンスを受け入れることができず、お手伝いをその1回だけでやめてしまいました。
安全面を考えると、最終の参加者が戻ってくるまで待つ。もしくはスイーパーを付けて安全確認をするべきなのでしょうが、それはある意味で「過保護」にもなります。参加者が「自己責任」でゴールを目指すことで得られる経験や、責任感を持つことの大切さを学ぶ機会を阻害しています。
では、私は過保護な人間かというとそうでもありません。アルプス技研の勉強会リーダーだったときに、会社の新人研修が「成功体験をさせる」というスタンスだと聞いて、「この会社に長くいてはいけない」と危機感を持ち、退職するきっかけにもなっています。
成功体験は用意されるものではなく、自分で掴み取るもの。そのスタンスは今でも変わっていません。いや、むしろ今は「失敗も含めて経験」というスタンス。ただ、目の前で困っている人がいたら、助けずにはいられないのも私。自己責任だからと突き放すことができません。
そもそも、私は自己責任という言葉があまり好きではありません、概念としてのそれを自分自身の行動に当てはめることはしますが、言葉として発したり、啓蒙するための文章にそれを使うこともありません。世の中には文字にしない、声にしないほうがいい単語があります。
でも、自分自身の行動は「自己責任」だと思っています。自分にどんなことが起きても、その責任は自分にある。周りの人に頼れない性格だから余計にそうなるのですが、他人に同じことを求めないように気をつけます。誰もが自己責任で生きられるわけではありませんので。
