
先日、アディダスのメディア向けイベントに参加してきました。すでにRUNNING STREET 365でも記事にしている「ADIZERO BOSTON 13 TOUR」で、新しく発売される「ADIZERO BOSTON 13」を履いて10kmをキロ5分で走るというもの。
走る前には平林清澄選手のトークがあり、走り終えた後には交流会を兼ねたランチがあるなど、いつもよりもコミュニケーションとランニングを重視したものになっていて、いろいろ考えるものだと感心しました。それと同時に自分の社交性のなさを再確認。
平林選手にはインタビューもしたことがありますが、もちろんこんなところで話しかける勇気などありません。MCには柴田聡さんが務めており、柴田聡さんとは過去に飛騨高山のウルトラマラソンで会ったことをきっかけに番組に投稿、それが読まれた過去もありましたが、もちろん話しかけられず。
どっちも接点として薄すぎて、自分なんかが話しかけたところでみたいな思いがないも強くあるため、こういうときには臆病になってしまいます。参加した目的はランニングシューズにあるので、孤立するのは悪いことと思いませんが、もう少し何とかならないかと。
10kmを走るときは、ランニングシューズに集中力のすべてを注ぎたいから、誰とも会話したくないというのもあります。シューズの個性を把握するには、シューズだけでなく、自分の体とも対話しなくてはいけないので、とてもじゃないのですが、会話を楽しむ余裕はありません。
それと、私はついつい余計なことまで話してしまうので、こういうところで話をすると、自分だけのフィーリングについて漏らしてしまう可能性があります。別に知られて困ることはないのですが、シューズのレビューをするときに、オリジナルの情報を他社に提供しなくてもいいかなと。

そういう意味では「寡黙」というのは、自分を守るためにも悪くありません。ただ、狙っての寡黙というわけではない点が問題です。コミニュケーションをとったほうがいいという思いもあるのに、臆病になって話しかけられないというのは、大人としてどうなのかと。
それならいっそのこと、多くを語らない男であるべき。それについては、ずっと以前から「そうありたい」と思ってはいます。必要なことだけを語る。自分のことはできるだけ語らない。自分の思考は文章として語るというのが、私にとっての理想。
でも、会話の中心にいたいという気持ちを捨てきれずにいるわけです。そういうところを変えていこうかなと。毎日ひとつのものを手放す生活をしながら、自分の欲のようなものも手放していく。それができていないから、他の人と話せないことを後悔したりするわけです。
もっと孤高であるべき。少なくともランニングの世界においては。馴れ合う必要はないし、独自路線を貫いていけばいい。もちろん、近づいてくる人を遠ざけるなんてことはしません。ただ、不用意に自分から近づかないというスタンスを大事にしようかと。
協調性とか共感とか、そういう部分をできるだけ削ぎ落として、自分のやりたいように突き進んでいく。臆病であることを改善するのではなく、臆病であることをプラスに変える。無理してコミュニケーションを取ろうとしたって、疲れるだけですし。
ただ、内容の伴わない孤高にはならないこと。明らかに他とは違う何かを持っていることで、孤高でいることが許されます。まだその領域には達していないので、ここからさらに精進するとします。そして臆病な自分を恥じることなく、より高みへと向かうための糧にしていきます。