脱力:すべて頑張らないくらいがちょうどいい

予定通り裸足でトレイルを走ってきました。家から走り出して、帰りにスーパーに立ち寄る流れで1時間を目安にして、途中で折り返しましたが、トレイルはかなり短かったのもあって足裏はそこまできつくなく、ちょうどいい練習になりました。

このまま足裏を慣れさせていけば、6月中には弘法山往復くらいできるようになるはずです。24時間裸足チャレンジをやったあとというのもあり、足裏が思った以上に痛みに強くなっていて、反応もよくなっているというのもあるかもしれませんが、想定以上の収穫。

足裏が痛くなければ、リラックスして走れるので走りそのものもスマートになります。無理している感じがなく、自然と一体化している感覚。これがあるから裸足トレランはやめられません。そう言いながらも、いつの間にか離れてしまうのも毎度のこと。


私はスポ根世代であるため、苦しみに耐えると成長できるという間違った考え方が刷り込まれています。けやき坂46(通称:ひらがなけやき)の楽曲に「イマニミテイロ」という曲があります。歌詞が好きな曲のひとつなんですが、その中に「安全地帯にいて 後悔をするより たとえ傷ついても 一番前で泣こう」という歌詞があります。

この曲が発表された当時はかなり刺さったのですが、少なくともいまの私はこのスタンスと真逆を選ぶようにしていることがあります。それは「ランニング」と「仕事」においてのスタンス。反抗もしなければ、肩に力も入れない。できるだけ前へ出ない。

ランニングにおいては、とにかく「平坦」であることを目指しています。強い気持ちを持つのではなく、通常運転で感情にも走りにも起伏を持たず、淡々と走り続ける自分でいる。これが自分のポテンシャルを最大化できる走り方だと、この1年くらいで学びました。

仕事においても、少なくともアルバイトや請けているライティングにおいては、できるだけ自己主張をしない。基本的にどんな指示にも「はい」とふたつ返事で従います。仕事というのは指揮命令系統がしっかりしていることがとても重要で、トップダウンであるべきだというのが私の考え方になります。

民主主義で話し合って決めるというスタイルで上手くいく仕事はありません。20代の頃は尖っていたので、主張が強めの会社員でしたが、そういう経験を経て「沈黙は金なり」という境地にたどり着きました。もう「イマニミテイロ」なんて思うこともありません。

仕事はとにかく肩の力を抜くことが大切。軽口を叩きながら、手も足も動かし続ける。ちょっと楽しいなと思えるくらいがベストの結果を生み出します。時間に追われて「頑張らなきゃ」なんてなった日には、成果物の精度も下がりますし、心身への負荷も大きくなります。


「最大の成果を残すためにはリラックスする必要がある」というのが、いまの私の結論です。歯を食いしばったり、怒りをエネルギーに変えたりすれば、瞬間風速的に力を出すことはできます。でも、ランニングも仕事もずっと続くわけです。

何をするにしても脱力する。頑張りたいときほど力を抜けるようになる。まだその領域に到達しているわけではありませんが、ゆっくりとそこに近づけているような気がします。もしかしたら、それが「歳をとる」ということなのかもしれません。

ただ、根性論の刷り込みはおそらく一生消えることはありません。気合と根性で乗り切ってしまいたくなるときも、これからも出てくるはずです。そういうときに笑って「何とかなるさ」と言える。そんな大人になれるかどうか。今がその過渡期のような気がします。

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