絶望と希望:嬬恋高原キャベツマラソンで気づいたこと

嬬恋高原キャベツマラソンに出場してきました。スタート時の気温が低かったのもあり、裸足でハーフマラソンを走ったのですが、半分も行かないうちに路面が鉄板状態で足裏が過敏に。そこからは白線だけを頼りに、何とかゴールまで戻ってきました。

最近、トレイルも裸足で走るようにしているのもあって、足裏の耐性は上がっていましたが、暑さだけは物理的に限界があります。ただ、裸足ゆえに多くの方から声をかけていただき、楽しい21.1kmになりました。これぞ裸足ランニングの魅力です。

また走るなら、そのときはランニングシューズを選ぶかもしれませんが、足裏が過敏になったのも含めて、いい経験ができました。嬬恋高原から広がる緑と青で描かれたアートは、忘れられない風景になりましたし、高原の爽やかな風はここでしかできない体験です。


何でもインターネットでできる時代になり、美しい風景はインターネットで画像検索したほうが、より美しい状態で見ることができます。でも、それは視覚だけの話で、それ以外の感覚は存在しません。インターネットには土の香りはなく、鳥の囀りもありません。

だから自分の足で……みたいな古い考えを押し付けようとは思いませんが、少なくとも実際に行ってみないと感じられないものがあるのは事実です。それを大切にするか、どうでもいいこととするかは人それぞれで、人によっては映像で満足することもあるのでしょう。

私はとにかく「経験」が大切だと考えており、たとえその経験がネガティブなものであったとしても、経験しないよりもしたほうがいいと思っています。経験は知恵になり、知恵は新しい扉を開く鍵になります。それは終わりなき旅のようなもので、ただ尽きることのない私の好奇心を満たしてくれます。

RUNNING STREET 365でもレポートしましたが、嬬恋高原キャベツマラソンはただひたすらに楽しいマラソン大会でした。きっと、まだ走ったことのないマラソン大会の中にも、同じように素晴らしい体験ができる大会もあるはずで、それらすべてを走れるわけではないというのは小さな絶望でもあります。

20代の頃、本屋に行くたびに、「ここにある本をすべて読み切ることはできない」という絶望感に襲われていましたが、それに少し似ています。ただ、どちらの絶望感も希望が含まれています。すべては無理であっても、そのうちのいくつかはこれからの人生で体験できる。

そう思うだけでも、顔を上げて前に進む気持ちになれます。未経験なことがあるというのは希望であり、活力にもなります。新しいこと、これまでやったことのないことを選ぶのは、時として憂鬱さを連れてきますが、だからといって変化しないという選択はありません。少なくとも私には。


嬬恋高原キャベツマラソンのレース途中で、路面が熱せられたとき、私が意識したのは立ち止まらないということでした。立ち止まった瞬間に、足裏に熱が広がって、レースそのものが終わってしまいます。そうならないように、とにかく足を動かし続ける。

もしかしたらそれは、私なりに「安定」を求めている結果なのかもしれません。これまでの私は安定を手放して前に進んでいるつもりでいましたが、実は安定を求めて前に進んでいる。変わらない自分でいるために変わり続ける。これは大きな気づきになりそうです。

立ち止まる人も前に進む人も、安定を望んで選択をしている。ただアプローチの仕方が違うだけ。そして、本当に安定を手放せる人だけが特別な存在になれる。私にそれができるのかどうかはわかりませんが、このままでは突き抜けていけないことだけは確かです。

著:頭木弘樹
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