
情報収集のために、50年前の映像をYouTubeで見ています。昭和49年は私が生まれる1年前のことなのですが、興味深かったのは私が小学生だった頃の日本がそこにあったこと。10年くらいしか変わらないのだから当然なのかもしれませんが、自分も昭和の時代を生きていたことを実感しました。
映像そのものは画質も荒くて、古さを感じさせるものでしたが、それでもそこには紛れもなく日本があり、今の私たちと同じように、喜びや悲しみを抱えた人たちが暮らしている。今とは暮らし方も生活環境も違いますが、現代へとつながる時代がディスプレイの向こう側に広がっていました。
私に懐古趣味はありませんが、将来のことを何も考えずに生きていたあの頃の自分を、ほんの少しだけ羨ましく感じることがあります。ただ、もう一度やり直したいかというと、もちろんそんなことはありません。昭和の時代には理不尽が詰まっていて、おそらく今の私は適応できません。
ただ、そこには間違いなく希望がありました。当時の歌謡曲を聴いてみると、歌詞がとてもシンプルで、たくさんの余白を感じることができます。この50年でその余白をすべて埋め切ってしまったような気がします。言葉の表現方法は無限ではなく、その組み合わせも限りがあります。
昭和の時代には、そのことにまだ誰も気づいていなかったから希望がありました。でも、全てを埋め尽くしてしまった今は閉塞感があります。それでも隙間を見つける人もいますが、正攻法ではそこに辿り着けない、天才たちの世界だと私は考えています。
多くの若者は、その天才たちの世界に憧れ、自分もそのようになれると思って夢を抱くのでしょうが、実際には限られた余白がさらに小さくなっているだけで、しかも常識の枠に囚われているうちは天才に近づくこともできません。そして凡人として生きていく。

私もそんな凡人のひとりで、奇想天外なことを思いつくわけでもなく、ある意味で真面目さだけを取り柄にしてきました。ただ、天才に憧れることもなく、自分にできること、できないことを把握しているつもりです。そして凡人だからできることもあると信じています。
才能がないのに、才能がある人と同じ土俵に立とうとする。多くの人が失敗する最大の理由はそこにあります。自分にしかできないこと、自分だからできることを追求し、それを最大限に押し広げることが、私たちに残された唯一の道なのに、天才たちの後を追ってしまう。
人によっては、天才たちを追っている自分に酔うこともあります。もしくは応援していこうとする。自分には手が届かないから、そこに届きそうな誰かを支える。それは素晴らしいことですが、同時に自分の可能性を諦める行為でもあるやうな気がしています。
私には世界を変える力はありません。有名になりたいとも思いません。でも、自分だからできる表現、自分だから伝えられる経験というものはあります。それを凡人だからできる方法で表現する。では、どうすればそのような表現ができるのか。
残念ながらまだその答えは見つかっていません。むしろ、いま取り組んでいる執筆の中で見つかるような気がしています。私には北方謙三さんや村上龍さんらのような、才能ある人たちと同じ表現はできません。でも、いや「だからこそ」できる表現方法があるはずです。
少なくとも昭和の時代には、誰にでも可能性がありました。余白を埋めることだけに邁進してきた50年。だからこそ、すでに塗りつぶされてきたものを再構築したものが受け入れられるのではないか。そんなことを考えながら、着々と準備を進めています。