無主:さまざまな角度からの思考を持つこと

高速道路から北海道の風景を眺めつつ、「ここはすべて山林だったんだ」と思うと、複雑な気持ちになります。広大な土地に見える平地ほとんどが開拓されたものであり、どれだけ長い時間をかけて開拓したのだろうという思いと、それは許されることなのだろうかということ。

北海道は誰のものだったのか。私の知識ではアイヌの人たちが暮らしていたわけですが、アイヌの国があったわけではありません。アイヌの王がいて統治していたなら、北海道はアイヌの地ですが、そのような歴史はありません。いわば無主の地だったわけです。

主がいない土地だから、最初にいろをつけた者の土地ということになり、そういう意味では江戸幕府の土地であり、それを引き継いだ日本政府の土地でもあります。では「日本」とは何なのか。大和朝廷を中心とした農耕民族の集団が築き上げた国?


私の考えとしては、八百万の神がいる範囲が日本であり、そうでない土地は本来の日本ではありません。だから北海道は本来の日本ではなく、後から日本に編成された土地という認識でいます。

言い方が正しいかはわかりませんが、北海道は植民地に近い土地という考え方があります。日本人が勝手に進出し、勝手に開拓していった。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、そういう歴史があったという認識。だから、開拓された土地を見て複雑な気持ちになるわけです。

開拓の歴史は本当に大変で、それはそれで興味深いものの、大前提として北海道は無主の地とするか、アイヌの地とするか、それとも日本だとするかで、見え方が大きく変わります。そして私のような部外者は、あらゆる方向から見る必要があります。

ひとつの歴史、ひとつの視点だけを正しいとするのではなく、複雑に絡まった思惑や時代背景を学び、柔軟な思考ですべてを受け入れる。それはある意味で傲慢さではありますが、少なくとも学校で学んだことだけがすべてではないことくらいは頭に入れておきたいところ。

学校教育というのは、ある種の思惑が込められていて、日本人としての思考を構築させる場所であったことを、この歳になって理解できるようになりました。学校教育によってステレオタイプの日本人が作られ、いつの間にか小さな枠から出られなくなっている。

私は比較的自由に生きているつもりですが、それでも学校教育が作った枠からはみ出すことはありません。どうしたって日本人的な思考を持ち、日本人としての常識の範囲内で生きています。本当はもっと自由でいいのに、はみ出す方法がわからない。


だからこそ、違った視点が重要になります。開拓した人たちの視点だけでなく、開拓をさせた人の視点、そこで元から暮らしていた人たちの視点、そして無主の地として支配を目論んだロシアの視点。たくさんの角度から北海道を見るように、たとえばランニングも視点を変えてみる。

これまでの私はマラソンランナーとしての視点がほとんどで、趣味としてのランニングを楽しむ人たちの視点に欠けていました。「ランニングが嫌い」という人たちの気持ちも考えることなく、走ることが当たり前の世界に身を置いていたわけです。そこを少しずつ変えていかなかてはいけません。

そうしないと思考が凝り固まってしまい、行き詰まってしまいます。少なくともあと10~15年はランニングの世界で生きていくわけで、そこで閉塞感を感じることなく、自分なりに発展させていくために、少しずつでも「視点」を増やしていきます。

著:STVラジオ, 編集:STVラジオ
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