
昨日は初めての万里の長城を歩きました。北京の八達嶺長城周辺には、多くの長城が遺っており、ここ最近万里の長城マラソンで使用している2つの長城も八達嶺長城近く。そして、今回歩いたのもその続きのようなもの。ただ、ほぼ未修復で崩れ落ちているようなところもあります。
そんな状態になっていると知らなかったので、ランニングシューズで向かいましたが、間違いなくトレランシューズを履くべきでした。自称転ばないで有名な私が、思いっきり足を滑らして転倒。なかなか大変な経験をしました。もっとも代表の朱さんも初めての場所。
素敵な万里の長城があれば、またひとつ万里の長城マラソンを増やしたいという思いがあるのと、今回の撮影場所の候補として探してきた場所が今回の万里の長城でした。実際には2つの万里の長城を歩いたのですが、どちらもレースで使うのは難しいという判断。
本格的なアドベンチャーレースに出ているような人なら楽しめますが、そうでないと危険でしかありません。ただ、いくつもの万里の長城を繋いでガイドしたりするのはありな気はします。万里の長城マラソンプレゼンツの万里の長城ツァーとか。
ちょうど、チンギス紀を読んでいるのもあって、この先がモンゴル族の領土だったのかと感慨深くなったりもしました。そもそも北京は中華の中でも北の外れで、すぐ先に漢民族以外の民族が暮らしていたわけです。外敵から守るために万里の長城を作ったとされていますが、実際にはただの国境線だったのではないかと。
確かに他の民族が攻め入ってくるのは迷惑ですが、そもそもどこまでかどの国の領土なのかというのは、今のように明確に線引きするのが不可能です。河のようなわかりやすい線があればいいのですが、山の峰に線を書くのも現実的ではありません。

だから「ここから入ってきたら侵入者な」という意思表示のために長城を作ったのではないかというのが私の考え。曖昧だった境界線を明確にすることで、国を守るコストを抑えたというのは滑稽無糖な妄想とは言い切れないのではないでしょうか。
少なくとも万里の長城そのものは簡単に越えていけます。最新の万里の長城でもそうなのですから、昔はさらに簡単だったはずです。もっとも騎馬民族は馬を手放すことはしないので、山間部の長城はそもそも防御壁ですらありません。やはり境界線と考えるのが自然。
そんなことを考えながら歩いていたのですが、つくづく思うのは「壁」というのは厄介な存在だなと。壁は必ず分断を生み、その分断は壁がなくなるまで続きます。壁の右と左で文化の交流もなくなり、そこから発展することすらありません。
これは万里の長城に限ったことではなく、心理的な壁もお互いがより親しくなるための「障壁」になります。それも最初に作ってしまうと、崩壊させるのに長い時間がかかります。だから私のような人見知りタイプは最初に壁を作らないことが大切です。
今回、プロモーションビデオの撮影で中国人の女の子がやってきますが、とにかく壁を作らないこと。それをひとつのテーマにしてみようかと。どこまで親しくなれるかはわかりませんが、楽しんでもらって、いい仕事をしてもらえればと。
そのためには自分のコンディションも上げていかなくてはいけないのですが、炎天下の万里の長城を歩いたことで、少しだけ本来の自分に戻れたような気がしています。まだまだ疲労も溜まっていますが、撮影日までもう少し時間があるので、うまく上げていくとしましょう。
