
5月の万里の長城マラソンが終わってから、コツコツとではありますが、中国語の勉強を再開させました。これまではNHKラジオの中国語講座で学んでいましたが、今回はアプリを使って、正しく発音できるようにトレーニングしたのと、中国語ドラマを視聴し続けています。
その成果を確認するのも、今回の北京遠征での重要なポイントなのですが、それについては想定以上の成果を得られていることがわかりました。ドラマの影響もあってか、これまで以上に言葉を聞き取れます。言葉の意味はわからなくても、それなりに発音を聞き取れます。
これまでは知っている単語以外は、中国語なのかどうかもわからないほど言葉が混線していましたが、今回はその率が半分くらいに減った感じがあります。そして、発音練習の成果もあってか、中国語で話しているシーンもいくつかありました。
まだまだ単語力が低いので、会話できるレベルではありませんが、間違いなく上達しているのを確認できました。今回はっきりしたのは、言語は口に出していないと身につかないということ。特に中国語は四声があるので、繰り返して練習する必要があります。
そして今回はそれに特化してトレーニングしたことで、ぽつりぽつりとですが、自分発信で話しかけることもでき、いつもよりもコミュニケーションを取ることができました。レベルが5から10に上がった程度(MAX100として)ですが、これは大きな進歩です。
おそらくこのまま続けていけば、2〜3年後くらいに日常会話くらいはできるようになりそうです。おそらくそれは他の言語でも同じで、日頃から口にすることが、私にとっての語学学習の近道なのかもしれません。文法とかそういうのはあまり気にせずに。

ただ、私の語学力上達を妨げる大きな要素がひとつあります。それは、私が引っ込み思案であるということ。受け身体質で自らコミュニケーションを取ろうとしない傾向にあります。日本人に対してそういうところがあるので、外国人に対してはなおさらです。
もっとオープンになって会話を楽しむようにならないと、語学力はどこかで伸びなくなります。では、オープンマインドで暮らしていけるかというとそういうわけではありません。49年も単独行動を好んできた人間がそう簡単に変われるわけがありません。
しかも私が周りの人たちにオープンになると、私自身の良いところが消えてしまいます。強さと弱さは常に背中合わせで、良くないところを消すと良いところも消えるもの。だから、語学力アップのために、自分を変えようとは思いません。むしろ、これからの私はその反対。
ライティングするときには嘘偽りなくなんでも語りますが、日常会話はもっと減っていくような気がします。会話が減るというよりは、自分以外の存在に対する興味を広げなくなる。興味を持つのは、本当に親しい人たちに対してだけ。
仕事柄、知らない人たちが大勢いるイベントに顔を出さなくてはいけないことも年数回ありますが、そういうときも無理して周りと会話しなくてもいい。そんな考え方にシフトできそうなので、これからは日常生活でももっと会話をしなくなります。
だけど中国語も英語ももっと話せるようになりたい。矛盾していますが、どこかで上手く折り合いをつけられるように意識してみます。会話は減っても人間観察をするとか、できることはたくさんあるはずです。とにかくまずは、たくさん声に出すことから。
