
ランニングに関する情報発信をしているにもかかわらず、ここまで視聴したのは男子マラソンだけ。それもレース後半からで、日本人選手が1人遅れて、トップグループに日本人が1人になったところから。興味がないわけではありませんが、他に優先すべきことがあります。
私は同時並行処理を苦手とするタイプなので、視聴し始めると他のことが手につかなくなります。マラソンを視聴した結果、月曜日の仕事が1時間分溢れてしまいました。それはそれで構わないのですが、さまざまなことに手を出している結果、予定外のこともたくさん起きます。
万里の長城マラソンの問い合わせや、パーソナルトレーニングの相談など。それも仕事ではありますが、突発的に起きるものなので、スケジュールのバッファが簡単になくなるので、世界陸上を観ている余裕がないわけです。そもそも、応援するという感情も希薄というのもあります。
サッカーをしていたときから応援は苦手で、練習や試合のない週末はJリーグから高校サッカーの試合まで幅広く観に行っていましたが、それは応援というより、勉強をしに行ってた感覚です。個人としてのプレーや戦術など、とにかく学べそうなことを吸収するわけです。
そういう意味ではサッカーはテレビでの観戦もかなりしていました。戦術の場合は、現地よりもテレビの方が学べることも多く、ビデオ録画していれば何度も巻き戻して観れます。ところがマラソンはそういうわけにはいきません。現場に行っても一瞬で過ぎ去ります。
テレビ放送に至っては、正面からの映像ばかりで、フォームのチェックなどができません。トラック競技は横からの映像もありますが、速すぎて参考になりません。もちろん、テレビ放送は学びたい人よりも、応援したい人のためにあるわけで、私がイレギュラーなだけです。

そういうわけで世の中の盛り上がりから随分と隔離された状態にありますが、それでいて関連イベントには参加しており、そこでまた他のメディアの人やメーカーの方たちとの熱量の差に申し訳ない気分になります。申し訳ないけど、それこそ学びがあるので足を運ぶわけですが。
先日、アディダスの契約選手をサポートするAdidas Houseを取材しましたが、そこで知ったのは「シューズの調整」についてです。詳しくはRUNNING STREET 365でレポートしますが、アスリートのシューズは、それぞれのコンディションなどに合わせてAdidas Houseで調整するのだとか。
この調整というのがアナログで、アッパーに熱をかけて生地を伸ばしたりします。かつてのようにオーダーメイドのシューズが原則禁止になったため、市販のシューズを加工するわけです。考えてみれば当たり前のことですが、そんなことをしているとは思いもせず。
シューズの調整をしているのは新鮮な驚きでしたが、新しい気づきもありました。それはランニングシューズは加工できるように作られているということです。これも考えてみれば当たり前であり、私たちはその恩恵を受けています。大抵のシューズは履いているうちに足に馴染んでいきますが、そうなるようにデザインされているというのは新しい気づきでした。
ベースとなる木型もアッパー素材も「変形する」「変形させる」ことを前提にデザインされている。それはポジティブな面もあり、ネガティブな面もあります。変形できるようにデザインすることがランニングシューズ開発の縛りになり、シューズ作りを難しくさせている。
この観点でシューズ作りを考えると、これまでと違う視点でランニングシューズについて語れるようになります。そういう気づきこそ私を形成するものであり、「応援」では得られないものであると感じています。学んで実践する。これこそが私の喜びです。
