野宿:60歳までに桜前線を追いかける旅ランをするという目標

毎日1つ手放す生活で、お遍路のときに履いていたシューズを手放しました。私にとってこれはかなり大きな判断で、そこから堰を切ったように大事に取っておいたものを手放し始めました。過去の思い出も必要ない。そういう気持ちに振り切れたのでしょう。これは10年前に到達できなかった領域です。

本来ならお遍路直後にでもそんな気持ちになるはずなのですが、歩き終えた直後はむしろモノが増えていった気がします。ただ、お遍路の経験が10年前の「手放す生活」に影響を与えたのは間違いありません。必要最低限のモノだけを持って四国を1周する。それは自分自身を随分とシンプルにしてくれました。

また、お遍路の序盤で先達さんが「荷物の重さが業の重さ」だと教えてくれたのも影響しています。お遍路は本当に学びの場で、ただもう1度やるかと聞かれると答えはNOです。あれからランナーになってしまい、さらに世の中にスマホが広まったこともあり、いまお遍路をすると前回とはまったく違った体験になりそうなので。


お遍路をしたことで最も大きく変わったのは、どこでも寝られるようになったことです。お遍路中はテントと寝袋を背負って歩きましたので、完全なる野宿ではありませんでしたが、それまでキャンプを除いて屋外で寝るなんて経験もなかった私が、今では旅ランをしながら公園で野宿するようなこともしています。

何年か前の万里の長城マラソンでは、北京首都国際空港が一時的に閉鎖されたため到着が深夜になってしまい、そのまま空港のベンチで横になって朝を迎えたこともあります。面白いもので、その空港泊の経験が北京旅人の記事になっていて、そこそこ多くの人に読まれています。

北京首都国際空港のベンチで問題なく寝られるというような内容の記事になっていたので、記事に著者情報を掲載するのに合わせて他の宿泊情報も充実させましたが、私にとって空港はどこであっても「安全に寝られる場所」の上位に入っています。

危険なのはやはり駐車場です。お遍路のときに駐車場にテントを張っていたら、暴走族が周りで集会を始めたこともありました。さすがお遍路文化のある地域なので、こちらに手出ししてくることはありませんでしたが、ひとつ間違えれば大事になっていました。

日本縦断で新潟県から静岡県まで走ったときも、富士山の麓あたりの駐車場で野宿(完全野宿)していたら、また暴走族がやってきて「大丈夫ですか!」と声をかけてくれました。人が倒れていると思ったのでしょう。暴走族は基本的にいい奴の集まりです。

そういえば、最近は野宿をしていません。別にあえてするようなことでもないのですが、自分らしさが失われていきそうで少しだけ不安になります。旅は私の人生の中心であり、何歳になってもどこでも寝られる自分であり続けたいところです。


これはすぐにという話ではないのですが、60歳までに桜前線を追いかける旅ランをしてみたいと考えています。沖縄の桜が1月から2月にかけて咲くようなので、そこから4ヶ月かけて北海道まで走りながら移動する。それくらいの期間になると、どこかで野宿をすることにもなるはずです。

それを実現するには、パソコンひとつで稼げるようになっていなくてはいけませんし、足も鍛えておく必要があります。ハードルはあまりにも高く、実現できるかどうかはわかりませんが、そういう目標を持っておくのも悪くないかなと。

ついつい目先のことばかりやってしまうのですが、大きな目標があればブレない軸のようなものができ、また違ったライフスタイルになるのではないかなと。私のこういう目標は大抵5年前倒しする傾向にあるので、意外とすぐに実現してしまう可能性がありますが、まずはその大きな目標を忘れないようにすることから。

著:山田航, 編集:山田航
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