
坂道グループが好きなのですが、ライブに行くこともCDを買うこともありません。ファンとして好きというより、走るときにちょうどいい楽曲とグループとしての物語が好きで、応援したいというような気持ちは1ミリもありません。そもそも彼女たちは私よりも成功者であり、応援が必要なのはこちら側です(応援されても困りますが)。
グループとしての物語はさまざまな角度から楽しめるのですが、私が最も好きなのは「報われない」とわかっていても、自分にできることを積み重ねていく姿です。他のアイドルは知りませんが、乃木坂46などの坂道グループは中心メンバーになる人とそうでない人がはっきりしています。
加入してお披露目される段階で、その骨組みのほとんどが決まっていて、どうあがいても選抜メンバーと呼ばれる表題曲を歌うメンバーになれない人がいます。すべてのメンバーにスポットライトが当たるわけではなく、でもスポットライトが当たらないメンバーがいるからグループが輝きます。
スポットライトが当たらないメンバーには、スポットライトが当たらないという役割があります。演劇の舞台で誰もが主役になれないのと同じで、でも脇役や何もしない役の人がいて舞台は成立します。それと同じで、輝けないという薬があるのだと私は思っています。
なぜそんな残酷な役割があるのかというと、絶対に光が当たらない人がいることで、それまで光が当たっていなかった人が選抜に選ばれたときにファンの喜びが大きくなるからだと私は考えています。努力だけで必ず選抜に入れるのであれば、順番を待っていれば選抜に入れるのであれば、ファンはその日を楽しみに待てばいい。
でも、ずっと光が当たらないままのメンバーがいることで、「自分の推しもそうなるのかも」と不安を煽ることができます。そうなるとファンは推しのためにお金を使うわけです。アイドルというのはビジネスであり、存在そのものがエンタメだから、プロスポーツのように努力だけでは光が当たらないようにできています。

私はそれも含めて坂道グループが好きなわけです。だから、誰がセンターになるとか、誰が選抜に選ばれた(選抜から落ちた)そのものは興味がなく、それによって彼女たちがどのような一歩を踏み出すかに興味があります。もちろん内実を知っているわけではありませんが、そこは私の妄想でしかありませんが。
特別に推しがいるわけではないので、誰かが卒業すると聞いても心が動いたことは1度もありません。ただ、好きなラジオ番組のひとつである「タイムちゃん」に出演している矢久保美緒さんが卒業すると聞いて、珍しく少し動揺している自分がいます。
実は最近、ランニング中にラジオを聞くのをやめていて、タイムちゃんも1ヶ月くらい聞いていませんでした。そのタイミングで卒業を知ったというのも影響しているのか、それとも好きなラジオ番組が変わってしまうことを残念に感じているのかはわかりません。
その矢久保美緒さんというのが、私の中では乃木坂46の「スポットライトが当たらない人」であり、この1年で人が変わったかのように変化していたので、もう少しそれを見ていたかったというのもあります(彼女のファンが読んだら怒られそうですが)。とにかくラジオが面白かったので。
そういう意味では、ラジオ番組が私にとっては数少ない「推し」だったのかもしれません。もっとも数日すればなかったことのように忘れてしまうのでしょうが。明日から万里の長城マラソンのために北京入りするので、ここから怒涛のように時間が過ぎ去っていき、戻ってきた頃には過去のことになっています。
何かを推している時間もない。それは寂しいものなのかもしれません。推しのアイドルがいたり、推しのチームがあったほうが喜怒哀楽の振れ幅も大きくなって人間らしく生きられます。ただ誰かにスポットライトを当てるのは、私の役割ではなく、私は私の役割をまっとうするだけ。
